評価ということ

僕も会社員なので、上司からの評価からは免れません。
会社からの評価ということでもあります。しかし、僕はあまり気にしていません。あまり出世に興味がない。ということもありますが、一生現場の人間でいたいので。
と同時に評価というものはする人が変われば、評価自体も変わります。
評価は非常に多くの場合、相対的な部分、つまり、数値的に比較できる内容と、絶対的、つまり、プロセスなど数値に直接的に反映しない部分に別れます。このプロセスの部分については主観が入るので、人によって同じ人物を見ても評価は変わってしまう。ですから、評価の高い、低いはプロセスを見てもらう限り仕方ないのです。無理にゴマスリする力があるなら、その力を生徒の指導に振り分けたいとおもうのです。でも、会社に不満を述べる方は多いです。不満があるならやめれば、あるいは評価を高めればいいだけで、2個の選択です。
一方、相対評価の極みにあるのが入試。特に中学受験は一回の入試で全てが決します。そのことを批判するつもりはいっさいないですし、逆にそんな経験も子供にとっては成長のため必要かな。つぶれてしまっては何にもならないですが。
成果や実績は本番で冷たく評価されます。だからこそ、僕はプロセスを評価し、そのプロセスを成果へと結びつけてあげなくていけません。
中学高校と伸び続けて行くためには、プロセスの重要性とそれでモチベーションを維持させる、高めていく経験が必要ではないかと考えます。同じような成績層の中では成果が出にくくなりますから。相対評価のみの中だと一気に低空飛行と言うケースもありますので。
いよいよ、中学生は明日卒業式。明後日、公立高校の合格発表です。プロセスにたいする評価は上々。後は成果に結びついたか?
今から、毎年のことですが、自分のことのようにどきどきしています。
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