頑張ったのはだれ?

よく広告に絶対成績を上げます。とか
塾で指導した成果でこれだけの実績が出ています。とか

あるのですが、どうも私的には納得のいかない部分が多いのです。
多分、今教えている子の何人かは地域のトップ校に合格するのですが、
でも、それは私ががんばったわけではない。

ああ、手を抜いているというわけではないですよ。
確かに指導もしたし、サポートもした。でも、本気になって、
戦ったのは生徒たちなのだし、賞賛されるべきは、生徒たちであって
塾じゃないのじゃないかなと思うのです。
成績を上げる主体は生徒たちです。
絶対あげるってどれほど先生たちが優秀なのだろうと思うのです。
まあ、気持ち的にってことで。というならば、それはこの仕事に
携わる人すべてが持っているはず。

昔は私も俺が教えたから上がったのだとか傲慢にも考えていたし、
一部は正解だと思う。
しかし、この仕事の中で
主役は常に生徒たちであるわけで、塾の先生はわき役にすぎません。
本人たちにやってもらえなければ、受験さえままならない。
だから、本人たちを頑張らせる方向付けが
一番重要なのではないかと考えます。

そのためには、内容をテストや入試に合わせて絞り込んで、
覚えやすいテクニックを編み出して、とか。

でも、それは生徒にとっても私にとっても最終目標でもなんでもなく、
本人たちが自分で走れるようにするための方向付けの方法でしかない
と思う。
という意味では一番の売りにしたいのはその部分だし、
高校大学に行ってさらに成長することが
なりたい自分になることが目標なのだから。

塾が優れているから、あるいは私が優れているから君たちは
合格するんじゃない。
君たち自身が努力したから、優秀だから合格するんだ。

でも、不合格になったらそれは塾の力が不十分。いろいろな意味で。
不十分だったのだとおもう。
塾の主宰である私がこんなこと言っちゃいけないかもしれないが。

まあ、完全に君らに責任がないわけではないのだけれど、
不合格という点で、これからのどう生きるかに
変更を余儀なくされる点で人生に責任を負うのだから。
それ以上、責められることはないと思うのです。

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