不思議なこと。国語編

教育評論家の方の本などを読むと
国語の力を伸ばすために、あるいは読解力をつけるために
読書をさせましょうとか
そのために読み聞かせをしましょう。
などと書いてあります。

でも、本自体嫌いな子はどうしたらいいのでしょう?
読み聞かせをじっと聞いていない子は?
気がついた時期が小5ならば、すべて手遅れなのでしょうか?
そこに向けてはなんの解答も用意されていません。

漫画でもいいとか。好きな分野の本をとか書かれているけれど
親にとって、何が好きな分野で、それについての良書とは?
よく売れている本だと聞き買ってみるものの何も使えない。
親の取るべき方法とかいいつつ、
一般論でしかなくて、
なるほどなと思いつつも、
実際に実行できなかったりとか。

何か僕にとってはすごく違和感があるのです。
以前から気になっていて考えてみていたのですが、
子供の考えや思いなど子供の立場が欠落しているように
思うのです。

確かに親が子供を導かなくてはいけない部分というのは
多いと思うのですが。相手がある、その考えがある。行動原理がある。
その尊重なくして、これをしたらいいよというアドヴァイスを聞いても
親の単なる自己満足なんじゃないのと思ってしまうのです。

一人一人を個別化してみていかないと、
100人の子供には100通りの行動が考えがあるはず。
子育てに一般論なんて通用しないのではないかと、
だから、毎日の授業なり会話なりに刺激があり、子供たちを
自分が育てている実感とともに自分が子供に成長させられて
いる実感があるのではないかと思うのです。

次、中3になる娘は読み聞かせを一切聞かない子でした。
読書量もさしたるものではないと思います。
現在、5科目の中では国語が一番良く出来ている。
素直に読み聞かせを聞いていた息子は、現在読むのは漫画のみ
国語の成績は0点をとったりします。

レアなケースかもしれませんが、実例があるのです。
親としてはあまりなにもしていませんね。
これまで教えてきた子でもものすごい読書量なのに
国語があまり出来ないという子はいくらでもいます。

国語の成績がいい子は読書量が多いかもしれない。
でも読書が好きな子の全てが国語ができるわけではない。
読書がキーならば全員国語の成績がよくてもいいはずですよね。

私は不思議でたまらない。
ここは、宿題に僕自身の宿題にしておきたいと思います。

ワクワク感

僕はギャンブルが好きではなく、特に競馬競輪は一切しません。麻雀は少し。
とりあえず、自分の選択を馬や他人の頑張りにゆだねるのはあまり気持ちのいいものではない。
ということです。
でも、ワクワク感が嫌いなわけではない。ワクワク感がどこに起因するかを考えると不確定要素に起因している気がします。
多分、アメリカンフットボールのパス攻撃が受けるのも、不確定要素がランよりも大きくなるからかな。
マニングやブリーズ、ブレイディがすごいのは特定の相手とのショートパスに不確定要素がほとんど入らないとこ。
全く持って、ワクワク感が乏しい。でも勝てるということはそういうことなのかなあと思います。
逆にペインターなんかは、ショートパスでもワクワク。
ティーボーなんか何してもワクワク。というより、二人はWAKWAKよりもドキドキに近い?
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犬を飼おうかな。

最近、犬を飼おうかと思っています。
うさぎでもいいのですが。
理由は突き詰めてしまえば、死んでしまうから、
ネガティブ&逆説的なように聞こえますが、
本音です。

実家の母などは動物は死んでしまうので嫌だ。
といって、飼いません。
その喪失感に耐えられないと言います。

でも、うちの子供らにはその経験が必要に思います。
ある朝、いきなり昨日までぬくもりがあった自分に親しいものが
冷たくなっている。反応しない。
喪失感、悲しみを経験しておかないといけない気がします。
その経験が何をもたらすかは未知数なのですが、
その経験によっていのちの大切さを他の人に対する優しさを
学び取ることができないかなと期待しています。

先日、ベネッセさんの調査で親御さんの調査対象の約40%の方が
子供の独り立ちに不安を感じているという結果が出たそうです。
僕もその一人ではあります。

何をもって指針とすべきか、唯一絶対の価値が揺らいでいる。
これをすれば大丈夫ということがなくなり、親自身が拠、自信を
持てないということの裏返しなのかなと考えたりします。

勉強さえしていれば、大丈夫じゃないことは、最近のビジネス雑誌
なんかを見ても明らかで、求められている力が偏差値では計りきれない
モノになってきているように感じます。
むしろもっと人間としての基本に根ざした部分。
自主性や計画性、気遣い、行動力。
これらが小さい頃から身についていると偏差値もあがるのは自明です。
今そうでなくても将来的には、時期がくれば。しかし、
偏差値的に高い子の全てがこれらを身につけている訳ではない。

とすれば、親という教育者はいかにして生きる力により近い部分を
伸ばしてやれるかだと思うのです。

と同時に、いろんな経験を積ませる必要があるかなと思います。
喪失感を乗り越えられる。悲しみを乗り越えて次に向かっていく
それには当然助言も必要ですが、たくましさを身につけさせたいのです。

無論、ペットの死を願っているわけではありません。
愛情を注げる対象を作ることが子供にとって幸せなことに思うし、
人から愛情を注いでもらえることが幸せな動物たちもいると
思います。
結果、視野の広がりを期待できるかもしれません。

相変わらず、グタグタですみません。

とうとう

マニングのコルツからの退団が決まってしまった。
最近のニュースの中では、最も悲しい。
パテの入っていないハンバーガーが出てきた時くらいの衝撃。
ほんとに、マニング抜きのコルツなど僕にとって、麺の入っていないラーメンみたいなものです。
ぶっちゃけ、ありえない。
(娘の見ているまんがの影響です。)
衝撃の大きさが表現のくだらなさに出ているでしょうか。
なでしこの準V・ダルビッシュのオープン戦
初登板よりもマニングの再契約or解雇が僕にとっては重要でした。
これからのコルツがどんなラーメンを作りあげるかはわかりません。
ただ、ほとんどのメンバーがかわり、監督、コーチも総取っ替え、GMも変わりました。
多分、醤油豚骨から、あんかけ焼きそばに変わるほどの変化です。
それでも、ロイヤルブルー応援はやめませんけどね。
マニングがどこかと再契約したらそのチームのファンにはなるかな。
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今日はのびのび

昨日までの入試でピリピリというムードから
一転
今日は少しのんびりムード。
そんな中、中2は自習に来ている子も多かった。
月曜日に次は君らの番なんだぞ!
と発破をかけたせいからなのか、
中1も混じって自習室は結構盛況でございました。
確実に変化しつつある生徒もいます。
誰のためでもない、ご両親や僕に言われてする勉強なんて
長続きしませんし。
ただひたすら自分の夢を叶えるためのはじめの一歩。
始めなければ始まらないのが受験勉強。
みんなファイトだ。

不思議なことに。

世の中で中学受験をする生徒さんは、
どのくらいいるでしょう。確かに首都圏には多い。関西圏も多い。
でも、全国的に見るとそれほど多いかずではないように思います。

しかし、本屋さんに行くと中学受験用の参考書ばかりが、
大量に並んでいます。
僕自身かなり深く関わってきていいるので、中学受験の問題の
難しさや面白さというのはわかるのですが、
あまりに、受験をしない大多数向けの参考書が少ないように
感じます。

ある意味、中学受験をする子は普通の内容は理解できていている
場合が多く、そのため基礎は一切カットできます。
普通の子やあまり得意ではない子がつまずくポイントを
省いても内容が成立してしまいます。
早くから取り組み、繰り返すことも大きなアドバンテージでも
ありますが。。。
ですから、参考書や問題集もつまずくポイントがわかりにくく、
教える方も教えられる方も危険の回避があまり上手くいかないよう
思うのです。それと将来の展開も見えにくい。

もっと、公立中学でのあるいは高校受験を意識しての内容が
あってもいいような気がします。
 
正直、小学校の内容や教科書テストがわかるだけでは
中学校に行って不十分ですね。
例えば、最近も取り上げた割合は中学では基礎知識として
方程式や連立方程式の利用に使用されます。
その時、0.01=1%が理解できているだけでは不十分。

やはり、濃度×食塩水=食塩を仕組みとして理解しておかないと
方程式の立式ができない。
式の立て方は教わるのですが、根本の部分が弱いので、
大の苦手の完成となってしまいます。
僕が方程式の応用や文字式の利用の前に割合・速さで復習の
補習を組むのもの前提としての割合の力を確認しておかなくては
いけないからです。

この点を系統だてて示す資料はあまりにも少ない。
あるにはありますが、教科書会社のものであったり、学習塾の
内部資料だったりするし、一般的には説明がされない。

参考書がないことも不思議なことなのですが、
算数・数学の学びゆくルートが示されないことも不思議なことです。

今僕が時間を見つけていしていることは、自分なりの生徒に与える
参考書を作ること。小中一貫6年分になるようなものにしたいです。

今年の北海道高校入試問題(数学)

数学については
若干、易しくなったという感想を持っています。
裁量問題がこんなもん?
という感じです。
特に立体が絡まなかったのは少し驚き。
どこかで見たことのあるような
あるいはよくやらせていたような問題が多かった印象です。
多分、証明は厳しい人が多かったのではないかと思います。
ただ、中点連結使うよねと気づけたらあとは時間がかからない。
比較的、学校でもよく取り上げているところですが
自分で線をひかせるタイプはちょっときつい。
あらかじめ引いてあることが多いので。
裁量では、ほぼ僕の予測したとおり、
① 整数・確率複合問題。2次関数もしくは2次方程式と絡むかな
と思って、前日も頭の体操風に解き方教えていた。
② 誘導が丁寧なので、弧と円周角の関係にはすぐに
気づけたかな。
③ 関数と図形。等積変形にはすぐ気づくのだけれど、どう使えばいいかは
練習量によるので、素直に方程式に落とし込んでやるほうが、
リスクが少ない可能性が高い。
かっこよく等積変形使いたかった人も多いかもしれないけど。
ただ、訳わかんない座標は(a,b)とおいて処理する。
徹底してきたことが実践で生きたかな?
多分、昨年に比べて、満点取る人は多いのではないかと思います。
あくまで、中学校の数学の範疇を超えるものではないから。
昨年までは発想を中学受験風に変える必要があったと思う
それに比較すると明らかに組みやすい。
6角形も面積を求める公式教えてあるので、行けるだろうし
角錐も正8角錘までなら、方法を教えてあるので、
なんとかなったと思う。
球と円錐の関係については「円柱にすっぽり収まる球と錘の体積比」が
円柱:球:円錐=3:2:1はやっていたのだけれど、覚えてないかな。
ちょっと悔しいかもしれない。

中3生へ②

いずれ来る日に備えて
今日感じたことを書いてみます
未来への手紙です。
今日は本当にご苦労さんでした。
試験の出来はどうでしたか。
点数が思ったほど取れなかったことで不安に
なっている人いるでしょう。けれど、今はそれを考えても
仕方ありません。
いろいろな情報に振り回されて一喜一憂しても、君たちの
過去の行動に関係することであって、冷たいようですが
いまさらそれを変えることなんてできない。
そもそもその情報自体、何の根拠もない推測かもしれないのです。
現実的に考えて、厳しい現実が突きつけられる可能性も
大いにあります。
もし万が一厳しい現実が突きつけられたとしても、それは
自らの選択の結果だし、その現実から逃げてはいけないと僕は思います。
はじめにいうと合格が光に満ち溢れた未来を約束するものではないし、
不合格が暗黒の世界の始まりではありません。
不合格より合格の方がいいに決まっているのだけれど、
それより、入試という枠の中で成長できないことのほうが、
不幸なのです。
だから合格したとしても人間として成長できていなければ、
個人としての受験は100%成功とは言えない。
逆に、勝利よりも敗北から学び取るものが多い者こそが、
次のステージでは勝利手中にできるかもしれない。
合格・不合格の差はスタートラインの差でしかありません。
力いっぱいしてきての、悔いのない受験をしてきての合格あるいは
不合格ならば、それはどちらの場合であっても胸を張るべきなのです。
未だみなさんの人生は始まったばかりです。
高校入試の合格不合格で左右されるほどチンケなもの
ではありません。
合格は人生で経験したことがないほどの無常の喜びかもしれない
不合格は人生で経験したことのない不幸かもしれない。
でも、そんな喜びが小さいものと思えるほどの大きな喜びが、
不合格以上の苦しみが人生にはあるはず。
君たちの喜びも不幸もまだ始まったばかり
もっともっと辛いことがあるよ。
もっともっと嬉しいことがきっとある。
辛いことを乗り越えられる強さ。喜びを引き出す努力それを
学ぶための受験だったのです。
決して、結果のみ(それが良いものであれ、悪いものであれ)
に縛られるな。
人の生き方にひとつの近道も回り道もないよ。
そして、迷っても、僕は君たちにつきあうよ。

小5割合について

書き込みが精神論ばかりな気がするので
ちょっと算数のことでも書いてみようかなと思います。
小5の割合、小6の速さともに苦手な子が多いのですが
多くの場合、根本原因は小3から小4にある気がします。
まあ遡れば小2なのですが、、、
全ては割り算についての誤解というか。うーん一面的な解釈に
原因があるように思います。
さて、割り算とはなんでしょう。
門外漢の僕で、専門的な教育を受けていないので、解釈的に
間違っていたら、ごめんなさいですが。
① 何かを同じだけ分けるときに使う。
  50個のアメを5人で分けるととか。。。
とても多くの場合、この考えが頭にこびりついて離れないくらいの
勢いです。
今僕が見ている子達もそう。
3年生でする割り算がこれです。
② その数の中にある数が何個入っているか調べるときに使う。
  50は5の何倍でしょうとか。。。
この考え方が十分に理解できていない。①は生活に結びついていて実践的なのですが
②は抽象概念になることがままある。
ゆえに、軽視しがちなのですが、小学生の後半は割り算といえば、②メインなのです。
例えば、倍数・約数。分数の計算。
飴玉を仲良く分けている場合ではなくなっていくのですが、
②の考え、使いこなしが十分でないため、
多くの小学生は5年生でつまづくかな。
実は教科書の中にも一定程度ヒントになる部分はあるのですが
見落としてしまっているような気がします。
だから、この点をみっちり学んでおけば、割合は
②の表現を変えたものだということが分かると思うのです。
もう一つは、表現法。
僕は説明するときに「ものさし」や「基準」という言葉を使います。
「元にする数」=「ものさし」「基準」です。
「比べる数」=「はかりたいもの」です。
「割合」=「個数」「何個」分です。
「はかりたいもの」に「ものさし」をあてたら「何個分」になるの?
  「その数」  に 「ある数」は    「何個」 入っていますか?
全く同じですよね。
 はかりたいもの÷ものさし=個数・○○倍
 比べる数  ÷ 元にする数=割合
実際には、3用法の問題などになるともう少しテクニックが必要なると思うの
ですが、その部分についてはまた後日。
ただ、この考え方を使うと第3用法も少しだけきちんと理解できるような気がします。

勉強する?

娘たちのなかで、一番学校の勉強を頑張る必要があるのは、3番目。
他にこれといって、将来の志望がない。
すると、一番手っ取り早いのは学校の勉強を頑張ることだと思うのです。
なぜかといいますと、僕自身、学校の勉強というのはよりよく生きるための一つの手段方法だと考えていて、その方法は全人類の数ほどあると思ってます。
その才能なり、志望なりが十分ではないとき、学校の勉強というのは道を切り開くために役にたつことが多いのです。学校の勉強だけできても幸せになれるわけではない。
だからといって、勉強にしなくていいということではありません。
勉強は人生をより豊かにするための手段のうちの一つ。しかも、一番身近ですので、するべきなのです。
だから、いい高校レベルの高い高校に入ろうねというのはあまりに短絡的で、そこでやりたいことがなければ、何にもならない。入ることが直接個人の幸福にはつながらんと思うのです。
ただ、自分の将来なりたい姿に最短距離で進める場所はあるわけで、そこは迷わず狙うべきです。
いよいよ明日本命の受験という人も多いかな。みんな気合い入れていきましょう。
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