長女のイジメから学んだこと。

昨日、かなり生意気なことを
書いてしまいましたので、ちょっと自分なりのいじめやらの考えを書きたいと
思います。

まず初めに、イジメはいじめられる子に確実に原因があります。
でも、その原因というのは悪いことというわけではなくて、いわば、差異
とか個性とか言われるものです。

うちの子の場合は泣き方が、泣き声?が面白かったそうです。
だから、泣かしてたらしい。
嫁は怒っていましたが、僕は思わず笑ってしましました。
当然、嫁の手前、心の中だけでですけど。
似たようなことを今もしとんねんな餓鬼どもはー。って
まあ、でも10年近く前だしね。時効でしょ。

ただ、そこでの先生の対応はカチンと来ました。
だから、変な声で泣かないようにしようね。って。
どんな声で泣こうがうちの子の勝手なのでは?
いじめられないように、身をすくめて生きろということですか?
私は、娘にこれが私の泣き方だ。文句あるのかと胸を張ってほしいのです。
だれでもない私の個性なのだと。
さすがに小1の娘にその説明を十分にはできませんでしたが。。。

それぞれ、一人一人違う差異の部分を受け入れられないとき、
差別とかイジメは発生するのだと思います。
人は成長とともに社会性?を身につけるから、直接的な方向でなく
陰湿になったり、遠ざかったり、無視したり、受け入れたり
するようになって来る。とは思う。

先生としてするべきであったのは、うちの個性を個性として
受け入れられるようにすることと、
イジメがイジメであるかどうかの規定は常に被害者の側にある
ということを理解させることではなかったのかなとおもう。
多分、専門家ではないのでわからないけれど、差異を個性として受け入れることが
ノーマライゼーションの基本なのではないかと思うのです。

なんかの記事に動物は仲間は殺さない。人間もそうであって、殺すのは
仲間として受け入れてないからだ、みたいなことが書いてあったのだけれど、
いじめとかハラスメントというのも仲間であるかどうかの考え方が重要ではないのか
と思うのです。
時々、「友達どうしのふざけあいだと思っていた」のと
「いじめられている」関係だと思う
認識のずれというのがあるのはこの点ではないか。

私がイジメがなかなかなくならない一つの原因として考えているのが、
上記の点と
差異をどう受け止めるかを十分に学ぶ時間が少ないこと。
私ら親自身が差異について何かしらかの不寛容な立場をとっていることあるものな。
たとえば、昔に比べると左利きは増えているそうですね。
昔は「ぎっちょ」とかいって、矯正されていた。私のいとこも両利きですもの。
他人との差異を気にする。のは子供ではなく大人だったりする。
子供のほうがよくそんなことでみたいな小さな点を他人との差異で発見するのだけれど。

それと小学生高学年くらいから中学生のイジメというのはある意味劣等感の裏返しに
なっているような気がする。
もしも完璧な人間がいたとする。スポーツでは金メダル勉強では常に全国で1番くらいの。
何をしても誰にも負けない。
だとしたら、その人はイジメはしないのじゃないかと思う。
負けてるところが一つもなければ、何らかの理由で自尊心・自我が傷つくことはない。
とすれば、他者への攻撃でそれを繕う必要はないと思う。
多くの場合、凄惨なイジメというのは、満たされない自分に対する代償行為で、
自分より弱い人間がいることとそれを確認することで満足しているのではないかな。
だから、弱いものへ弱いものへと攻撃が重ねられていく。
そしてそのことで、集団の中での自分の立場を強いものにしようとする。
自己防衛の一つなのではないか。
教育心理学の専門でもないし、経験も乏しいのだけれど。
そんな風に感じています。

ああ、もちろん日本の全人口の半分がサディストではないという前提に
立っていますよ。

自分の弱さを分かっていて、その劣等感との付き合い方を知っている子は、
あるいは劣等感を持つのが当たり前なのだと感じている子はイジメに加担しにくい
状況になるのではないかと。。。
上記の点がいじめっ子が状況の変化に伴いいじめられっ子にかわる。
また、その逆もあるということの原因の気がするのです。

人間だれしも弱い部分も劣等感もある。その向け方を間違うことは人間だから
ある。
つまり、イジメる―られるの関係が何かのきっかけでポンと
誰にでも起こりうることだから、簡単には、なくならないような気がするのです。

イジメがなくなるのは理想。でも、誰かにしてもらうのを待っていたならば、
長いようで短い人生。もったいないなと思うのです。
学生といわれるのは大学を含めてたいていが16年間。人生の20%分。
うつむいて過ごすのは、つまらない。だから、イジメに負けない強い子に
するのです。挫折を乗り越えられる強い子に育てたいのです。

「あたしの××のどこがいけないんだ。」
「キモイ。」
「それはあなたの感想。よく理解した。だったら、離れるか。受け入れるか。
選択の機会をあなたに与えてあげる。そもそも、どんだけあなたに迷惑かけてるか
説明してみろ。感情のまま生きてていいのは赤ん坊だけだぞ。」

こんな風にいえる子ならばあまりいじめられたりはしないんだよね。きっと。
難しいね。

失礼いたしました。

長女のイジメから学んだこと。」への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    >ビー玉さん
    コメントありがとうございます。
    まあ当然のコメントかと思います。
    文脈からお分かりかと思いますが、
    原因というのは、原因ではありません。
    小さな他者との違いをいじめる側は見つけて
    あげつらうということです。
    個性というものは誰にでもあります。
    それを受け入れられないことが問題だと。
    受け入れられなくしているものが
    問題だと思うのです
    (イジメる側を作り上げているのも
    やはり教育なので。)
    申し上げているつもりなのですが。。。
    伝わりにくくて申し訳ありません。

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