速読開講予定

本日は朝から、SRJ主催の速読の導入研修でした。
以前、速読指導の経験があるとはいえ、
ソフトも更新されているし、
ネットを使っているので、眠かったけれども行ってきました。
あさ、8:00過ぎに家を出たのですが渋滞がひどく、
10時に間に合いませんでした。

まずは中1の息子にさせたい。読書の経験は学力に大きく影響するような
気がする。統計的なデータとっているわけではないけれど。。。
本が好きで成績不振という子もありますし、逆のパターンもある。
だから、一般化はできないのですが、息子の場合は読む時間で国語の
テスト時間の大半を消費してしまっている。
それは社会でも理科でもそう。読む場所が少なく図で処理する問題は得点可能。
数学でも文章題の意味が取れていないことを感じる。

今更、趣味を読書に変更しろというのも無理な話なのだから、
単位時間で読める量を増やすしかないわけです。
とりあえず、受講第1号は決定だな。
6300円は出世払いでつけにしておいてやることにする。
親として示せる最大限の好意はそこまでだ。

冗談はおいておいたとしても、私としては高校生に受講させたいのです。
センター国語が選択肢を含めて約20000字オーバー。
これをよむのに40分かけたとしたら、純粋に思考・解答にかけられる時間は
40分。これを20分にできたら、もっと得点力は上がる。
単純に試験当日でそうなのだから、これを1年2年と考えた場合、
単位時間の中で問題を解ける時間が増やせる。読書量が増やせる。
ということは語彙力を上げられる機会になる。
2乗どころか3乗の効果も見込める。

それも、国語以外の各科目においても、それは可能になるから、
全体の底上げになる。
北海道の高校生は頑張っていると私は思ってます。
でも、小中でちょっとゆとりがある。
全道レベルで考えてしまうから。。。

でも大学入試は常に全国区
ちょっとでも、首都圏や近畿圏の小中でガシガシに鍛えられている連中と
渡り合うには効率化しかないと考えている。
高校の3年間という時間はどの地域に住んでいても平等なのだから。
その効率化の手助けにはなるツールだと考えています。

札幌とか北海道に住んでる子らが学習の面とか、入試の面とかで
全国的な競争に負けないという状態を私は作りたいのです。
小さいけれどそれが私の地域貢献だと考えています。

いま、大学生になった教え子たちは学習の量が多いので、速読できればいいな。
ということを言ってます。残念だけど対象は高校生まで。
そのうちとは思っていますが。。。

FBからのFB②

題名はフェイスブックからのフィードバックという意味です。

その友人のコメントはさらに続いていまして、
引用は避けますが、勉強の仕方を学校では教わってないように思うと。
それを見つけられない子のための塾であってほしい。
というような内容のエールをいただいています。

ありがとうございます。
勉強の仕方に関しては率直な感想でいうと、個人・ご家庭に委ねられているかな
と思います。
一つには勉強ということが価値観の多様化に伴い唯一のものではなくなったこと。

高度経済成長期の
勉強さえできれば何とかなる。
から、
今の時代の
勉強だけできてもねぇ、(特に北海道ではよく聞く気がします)とか、勉強さえできない。
という形で、相対的な地位が下落しているような気がするのです。

私自身も唯一絶対の価値観を勉強や受験においているわけではありません。
しかし、友人がいうとおり勉強の仕方は身につけなくてはいけないと思うのです。
知識は陳腐化していくもので、たとえば20年前の最先端技術はもうすでに。。。
パソコンなんかでいっても、20年間に比べて処理能力は1000倍以上になっているわけですよね。
その進歩に合わせて自分をグレードアップしていくためには、
自分で勉強するしかないわけです。
ところが、その方法を身につけていないとそれはできない。

私は、自身の反省としてそれが遅かったなぁと思います。
だから、繰り返しを自分が係る子供たちにはさせたくないと思います。
だから、勉強のしかたを指導していきたいと思います。
学習習慣の定着を小学生の第一に掲げているのはその理由だし、
中学生はがっつり勉強させますが、塾で学習法を指導する時間を設けています。
入試は塾の引いたレール通り進めば何とかなる。
高校・大学に入ったら誰もレールは引いてくれない。
だから、潰れちゃう子も出てくる。

本当のゴールはなりたい自分になることなのに。
さらに自分で自分を伸ばしていける仕組みを私は作ります。
まだまだ模索は続きますが。。。

簡単に言えば、段階を踏んで、

小学生:学習習慣
中学生:競争と自学自習
高校生:個別指導による自学自習の最適化

かな。

大学生は先生として技術・方法論の伝達と自分自身の学習法のブラッシュアップ。

高校生・大学生にとって両方とプラスがあるから、
個別指導には大学生を私の教え子中心に採用していきます。
生で大学受験を経験している時期が近いほどリアルが伝わると思うのです。
確かに経験は重要だけどそれは私がいくらでも側面から支援できる。

決して、1年2年で考えるのではなく、かかわった以上、その子の
人生にかかわるのです。

最終的に目標とするところまで伴走できる塾になります。

というわけでそろそろ4月に向けて声掛けしないといけないな。

FBからのFB

フェイスブックで小学校のときの友人から
小学校の時は塾に行ってなかったよね。というコメントをいただきました。
おっしゃる通りでいまの40代の方は多分あまり塾の必要が、
小学校時代なかったと思います。

私自身通っていなかったし、(自分で塾を開きながらなんですが、、、)
今も可能であれば塾に小学生が長時間通うのはベストであるとは思っていません。
現在の小学生を取り巻く状況は、こと学習に関して結構難しいと思うのです。

私なりの分析なので間違っているかもしれないけれど、
一つには中学受験の影響があります。
もう一つには、小学校の教科書が易しくなったことがあります。
もちろん中学校の教科書も易しくなったのですが。

中学受験によって、小学校はあまり影響を受けていない。
札幌市に限ればですが、、、一部の人のものなのです。
市内の小学校卒業生数と私立中学の受験者数を考えても10%は確実に下回ります。

つまり、クラスの中で多くて4、5人。下手をすれば、1人とか2人なのです。
息子と同期で私立中学に進んだのは学校全体で3人くらいだったと思います。

つまり、小学校としてはその部分を考える必要がない程の水準なのです。しかし、
中学校の感想としては、中学受験レベルのことをそこそこしてきている子も
多いととらえられているように思います。(あくまで個人の感想ですが、)
結果何が起こるかというと、
小学校の指導内容と中学校の出題内容のかい離が起こります。
ということで、教科書が十分できていると考えて(特に絶対評価だし)
公立中学に行くと「あれ、平均点もとれてないじゃない。」
となるわけです。
これが、中学受験の影響です。
近年の裁量問題が中学受験的な内容を含んでいたことで
より中学校の先生として意識されるようになったのかもしれません。
私自身としては悪いことであるとは思ってません。
パターン化されたものよりも思考力を問う内容はあっていいと思います。
誰も点数が取れないとかは問題ですが。

もう一つの小学校の教書内容が易しくなったことですが、
私が小学生だった頃は小2で集合のベン図とかしていましたから。。。
それから比べると易しくなっていました。
これは、最近になり、教科書内容が改定され、ギャップは埋まったかに見えます。
しかし、同じように中学校の教科書も難しくなっているので、勉強の仕方やそれ相応の知識を
身につけていない子はまた苦しいわけです。
たとえば、割合にしても小5でかなり時間的にも厳しいので基本だけで、
小学校は終わります。
多くの小学校では1%=0.01まではしますが、濃度の求め方などにかける
時間はないように思います。
しかし、かなりのレベルをしてきているものとして中学校では授業が進行しています。
今のシステムで中学校に小学校の復習の時間を求めるのはかなり酷だと思うのです。
本当に中学校の先生は部活顧問などを持つとほんとに大変ですから。

話を元に戻しまして、、、
一時、中学から高校へ進学した生徒のギャップが厳しかったのですが、
特にイオンとか化学の中心分野が中学校から削除され、高校に集中された時は
数学・英語よりも化学がわからんという子が多かったのです。
これは中学の内容が改定されたことにより、今後埋まっていくにしろ、
小→中のギャップは何か対策を講じる必要があると私自身は考えています。
それは塾かもしれないし、公的な援助かもしれない。

それぞれ、一長一短はありますから。これはまた、別の機会に。。。

宅配ピザの原価率。

宅配ピザの原価率は約10%程度だそうです。
ということは200円~300円くらいですね。
パスタもペペロンチーノとかだと60円~70円くらいだそうで。
この間書いてあったことをへーと思って読んでいたのですが、

では、私たちの塾における原価率って、考えると0円なんですよね。
当たり前で、何かのものを売るわけではなく、サービスとして、純粋に
技術料として受講料を頂戴しているわけです。
その構造はヘアサロンなんかと同じかもしれませんが、こっちは
シャンプーさえ使わない。
はさみも剃刀もなく、ホワイトボードマーカー1本。
さらに使用する教材まで保護者の方に購入いただいているのですから。

考えればボロイ商売ともいえます。

では何故、受講料が高いのでしょう。
それは、販管部門とか授業をしない管理部門を持つからだと
私は思います。
授業もしてないのに社長や部長にも給料払わないといけないです。
(どこの会社も同じですけど)
また、先生にもそこそこの給料を支払わないといけません。
じゃないと夜の商売だけに人が集まりにくいし、給与水準が低いところは
やはり、教員の継続率が低く、1年の間に何人も室長が交代したりします。

この間から、私のところの小学生の受講料が安いことが話題に上ります。
2教科で6300円なので。確かに。●もんさんの半額だそうです。

これにはある前提があり、それはあまり人数を増やさない。ということなのです。

だれか、ほかの人に給料をお支払してお任せした段階で小学生は赤字が出ます。
私がしないと立ち行かない仕組みに自らを追い込んでいる(笑)

私一人が担当しているからできる受講料と考えています。
というのも小学生は特に札幌の場合、とても難しい部分があるのですが、
私の認識する範囲でものすごくばらついています。
それは学力もだし、意識も。高校入試という共通のハードルがある中学生に比較すると
小学生はご家庭や個人にそのハードルがゆだねられている部分があるように
思います。ということは、その目標設定なり生活習慣の確立なりの部分においても
私自身が寄り添う必要があると考えているのです。

そのために、あまり人数を増やせない。
殺到したらどうするのか(そうなればうれしいですが)。
純粋に早い者勝ちです。長いおつきあいをしていただいてる方を優先します。

カリキュラムが中学受験にも対応できるような比較的(札幌においては)
高度なことをしますので、一人一人に目が行き届かない・理解できないというのは
お客様に対する背信行為ですから。
でも、将来的に中学進学のことを考えれば、小学校の教科書内容で満足していると
絶対後悔するので、教える内容・レベルは下げません。
中学では中1の1学期期末テストあたりで中学受験じみた規則性の
問題出してくるので、それを中1の5月にやっても100%の生徒に100%理解してもらい
100%間違いなく解いてもらうのは、大変なので。
(まあ、私の力が不足しているだけの話と言われればそうなのですが。。。)

塾でお問い合わせの際など出た質問に対する答えを書いてしまっているので
宣伝チックになり、読み返すとちょっと自己嫌悪です。

春期講習②

本日までで、毎日1件以上の問い合わせを
いただいています。
そこそこ順調なのかとは思います。
札幌はそれほど動く時期ではないですからね。

まあ、元いた塾からチラシだのHPだの噂だのを聞きつけて
問い合わせしていただいている方もあるので。。。
必ずしも本意ではないのですが、ありがたいことです。

このあと地域の学校に門配、また、折込チラシの投下と
なります。

こんな宣伝を書くつもりはない。

カリキュラムを組んでいて思ったのは、以前、小6が危ないという
話を書きました。その小6が中1に今なっているのですが、
やはりかなり危ない。

一つには中学校ごとにあるいはクラスごと、地域ごとに数学の平均
がかなりばらついているというお話を聞きました。全体的に平均が落ちている
気がします。
私の狭いメガネでの話なので真実かどうかはわかりません。
しかし、感覚的に上下のギャップが広がっているような気がします。
小学校段階での練習量がやはり不足気味かなという実感が
こと息子を中心に感じます。

定着まで至らない中途半端な段階で次に進んでしまっている。
というかどうしたら定着に至るのかが十分に身についていない。
非常にその場しのぎの勉強になってしまっている。

これで、中1ラストの立体図形の体積と資料の整理に進むと
入試段階での致命傷になりかねません。
ということは、私として春期講習で何をするべきかはほぼ決まった
気がしているのです。

あとは1年を通じてどのように英単語を覚えるかが身についていない生徒が多い。
教科書改訂で単語量は増えたのにそれに合わせた学習法が定着していないことを
感じます。

高校入試の場面であまり文法的な間違いをしでかす子は多くない。
むしろ、単語の意味がわからず、立ち往生。
まさに立ち往生をする子が多いようです。

現在の中2は少し展開が違うけれど、現中1については、
強化の課題は見えてきている。

春期はとにかくその部分を強化することだと
私は考えます。

現小5もやばいのですがね。

季節講習会。

いま、各学年のカリキュラムを作っています。

他の塾のカリキュラムを真似してもいいのですが、
どうも合いません。
そりゃあそうじゃ、うちの塾は季節講習会の間も
通常授業を入れてしまうので、
年に11週分の定期テスト対策を入れて、年間48回
通常の授業があるので。。。

普通ならば、7月は3週で終了。4週目はなくて夏期講習
というのが一般的な形なのですが、うちは4週目も通常授業あります。
きっちりと。

学校が進まないので、先に進めてもさほど効果が見込めないから
1学期の復習するけどね。。。

二十数年間やってきて、夏期の時期に通常授業なくなるのが
不思議でした。
確かに時間割は特別なものでわかりにくくなるのだけれど。

たとえば、他の習い事では、5回目がなくなることも多い。
しかし、いつも4回なのが、3回になってしまうって塾は特別なのだろうか。。。

どうも違う気が私はします。

前も書いたけど、大切なのは子供たちに武器というかキラーコンテンツを
用意させることなのだから、

ピアノやサッカーと同じ価値がある。あるいは同じ価値しか塾にはない。
だとしたら、夏期講習があるから通常ないよ。だったら、夏期講習受けなきゃ
実力はつかないの?

以前、私のいた塾では15か月でワンセットの指導ですから。。。
って言ってたけど。

でも、それって、社会の常識なのかな?
この世界にしかいないから私にはわかりませんが、
親としては1年=12か月として子供の成長を考えているのでは、ないかな。
そのもやもや感がずっとあって、今回受けなくても指導が
ずっと継続するように考えてみたのです。

ただ、何とかなるけど。受けてもらいます。
もっと伸ばしてあげたいので。

また、システムの変更はあると思うけど。

がっつり、とことん預かって伸ばしていくのが、
関西風こてこてのPAT流だから。

体罰なのか。。。

先週来?先々週来?
アイドルが丸坊主にしたということが、やたら話題に
なっていましたね。

少し冷たい言い方ですが
私自身はだから。。。って思っていました。

多分アイドルの方たちはビジネスでやっているのだと思います。
その観点でみると、仕事のルールを破って、あるいは仕事に失敗して
丸坊主にしたところで、多分「だから?」って言われると思うし、私も
言われたし。

私が坊主になったところで、不合格が合格にかわるわけない。
それで、合格にしてくれるのならいくらでも坊主になりますわ。
ビジネスの世界ならば、反省よりも成果を求められるはず。
(反省が不必要だとはいいませんが)坊主にする時間あったら指導法の
改善しろよと私ならば思う。
あまり意味のある行動とは思えなかった。

世間では賛否両論らしく、体罰だ。いじめだ。パワハラだ。そもそも恋愛の禁止
自体、人権侵害だという意見もあるようです。

確かに体罰との共通性はあるかもしれない。パワハラかもしれない。
でも、それを超える価値を部活なり、その集団なりに見つけているのでは
ないかと思うのです。

それが洗脳によるものだとか言われると話はまったく別になると思うのですが、
それが、体罰だ。とかパワハラだ。とか決めるのはそれを受けている側だと
思うのです。
いじめについても同じことがいえる。
差別でもそうじゃないかな。
全然、パワハラとか思っていないのではないか。あるいはそう思っていたとしても
それ以上の価値を集団(会社)に見出している。あるいは人間関係に見出している。
と私は考えます。

そうなったら、どう考えても体罰だよとかパワハラだよとか他人がいっても
本人にとっては違うよね。
だから、体罰とかむずかしいのだと思う。これは前回からの繰り返しです。

そのような世界で、恋愛禁止を破ったら解雇というのは人権侵害だといわれても、
恋愛よりも価値を集団(企業)仕事に見つけ出していたら、
恋よりも仕事をとるわだし、はじめにそれは伝えてあるはずなのだから、
劣悪な労働条件だからということで、その集団を選択しなければ、いいだけの話
だと思うのですね。
あくまでも本人の選択だと思うのです。

むろん、一般企業では通じない話だと思う。非常識の極みでしょ。
そもそも、合コンしたら解雇だから、って言われてその企業に入る人は
いないとおもうのだけれど。。。

その選択についてまっとうな判断が出来るような人にしていくのが、
僕らの役割だと思うのです。

北海道の高校入試①

来週には推薦とか私立とか始まって、落ち着かない気分の
人もあるかと思います。

私立を公立の前哨戦的にとらえている人も多いと思いますが、
私立の場合は問題にビビったもの負けの部分があるので、
問題の出来を気にせず、平常心を失わないようにしてください。
落ち着いて。
これまで、してきた努力は決して嘘はつきません。

みんなが結構頑張ってきたことはわかっています。

推薦も常に面接での積極性を忘れずに、
受け答えは大切かもしれないけれど、なぜその高校を受けるのか
その高校でどんな自分になりたいのか
したいことは何なのか

これまで推薦で合格してきた人は必ずこれを明確にできています。
うまく流れるようにしゃべることが出来たらベストですが、
それをできる人ののほうが少ないし、できなくても真剣に
それを相手に伝える努力を面接官の方は見ていると思いますよ。
たとえ、たどたどしくても。眼にだけは力を込めて。
面接の最中、自分がうまくしゃべれないことにどんどんへこんで
いく人もあるけど、
しゃべりのうまさじゃないから。伝えようとするハートだからね。
うまいだけなら芸人が合格するじゃん。

恐れず、立ち向かってください。

それともう夜更かしはしちゃあだめですぜ。

体罰とか。。。

2月1日の開校以来、
問い合わせが約10件。指導開始がすでに何名かいます。
うーん。いいペースなのか悪いペースなのかわかりませんねぇ
とりあえず、5日目としては。。。

今朝、テレビを見ていると体罰の特集をしていました。
いじめ、差別、体罰には似たような構造があると私は考えています。
けれど、前2つと指導の中での体罰は次元が違うとも思うのです。

前2つは受けてる当人の向上という観点がありません。
指導には受けている当人の向上という美名がある。
だから、肯定的な人がいたりとかある。

私自身は、体罰は言葉の暴力を含め、全否定派なので、
「××の塾では生徒を殴るんだよ」みたいなことを聞くと
いろいろな意味で「すげぇ」と思ってしまいます。

まず、殴って従わせないと話聞かないのか?
殴られた生徒の気持ち考えないのか?殴られた生徒の親の気持ちとかどうだ?
そんなことをドガエシして生徒に手を挙げる「熱意」は到底理解できない。

むかし、私は近所でも有名なT進学教室に通っていました。
厳しいことで有名で数学の苦手であった私は中2内容の授業で
「こんなのもわからねぇのか」
とか言われて大変追い詰められ体調を崩した覚えがあります。
わからないのだから塾に来ているのでは?
とひそかに思っていました。
だから、この20数年間「こんなのもわからないのか」だけは使ったことが
ありません。あと、「なぜ、できない」も。。。
使った覚えがないけど、ひょっとしたら言われた覚えのある人もいるかも。。。
その人たちごめん。
けど、
わからないから、できないから、塾に来るので、それを生徒の責任にしてしまうのは
塾としての怠慢のような気がする。

くさい言い方をすれば、わかった!!と生徒さんが言えた時の笑顔が見たくて
この仕事してるのかなとも思う。ある意味20数年前から成長してませんね。(笑)

また同時に言えるのは、指導者や先生というのは生徒にとって絶対権力者に
近い存在なのだから、
絶対権力者が殴ったらそれは暴君決定でしょ。
親に対してだって、人質とってるんだから。
あがめられ、奉られるとどんどんそれが見えなくなってしまう。
また、どこか心の距離も離れてしまうような気がする。
だから、若い衆を使うのですが。。。

話を戻すと、体罰ってやっぱり関係性に集約される気がするのです。
だから、「殴られてよかったよ、おれ」があるし、「殴られていやだったよ」もあるのでは
ないかと。擁護する人も批判する人も。

ただ、殴ってました。その行為だけを見ると学校教育法11条に定める体罰ですね。
となる。

でも、そこに関係性についての観点はない気がするのです。
むしろ、体罰以前に、指導にあたる生徒さんとちゃんと関係性を作れていないことのほうが
やはり問題な気がする。
若い先生は関係の作り方がわからずに、
古い先生は心の距離を見間違って、知らず知らずのうちにえらいとおもってしまって。。。
体罰してしまうのかもしれない。

どっちにしろその生徒さん一人一人をじっくり観察できたなら、よく理解できたなら
手を上げずにすむ方法はあったのではないかなと思うし、
そんな暴力に負けないくらいに心が強い生徒たちにしていきたいと思っている。

メール開通。

お待たせいたしました。

メールも普通に送信できるようになりました。

最初はホームページから出していただけると
スパムのフィルターとかには、かからないと思います。

毎朝チェックは必ずしますのでいつでも出してください。

よろしくお願いいたします。

HP:http://www.pat-kyouiku.com

です。