春期講習6日目。状況終了。

三月中の授業が終了しました。

この1週間は連日9:00~21:50とハードなスケジュール。
少しは生徒さんのプラスになっていればいいのですが。

時間の授業は4月から。また1週間ハードな日々ですね。
しかし、立ち上げたばかりの塾では、
濃密な日々が必要だと思います。

私も生徒たちを十分把握しておらず、
生徒も私を以下同文。

新規で来ていただいた方が多いほど
このようなもう密な日々が相互理解の助けとなります。

2月の立ち上げ以来、皆様のお世話になりました。
そして新学期以降もよろしくお願いいたします。

一部には発表しておりますが、
4月に新しい取り組みを行います。

うまくいきますように。いえ、うまくいかせます。

HP改定。

4月に向けてHPを改訂いたしました。

お時間があればご覧になっていただければと思います。

<a href=”http://www.pat-kyouiku.com“>札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール</a>

学習塾の先生は。半分いなくなる。

最近、新卒の大学生の3年後の離職率が
出ていましたが、

教育支援産業=塾は半分がいなくなるそうです。
やはり、労働時間のわりに給与は高くない。
生活が不規則。
教育にかかわることの現実と理想のかい離。

かなりブラックな感じですね。並べてみただけで。
メーカーなんかに比べると。

上の数字が本物だとすると。
一つにはなぜ塾の先生は絶滅しないのだろうか
という疑問がわきます。
中途で入ってくる人が多いせいですね。
以前在籍した会社でも、パチンコ業界からの転身や
証券会社、銀行などの金融系。保険会社。商社。
教員。さまざまなところから移って来られる方が多かった。
私自身はこの業界しか知らないので、おもしろく
お話を聞いていたし、ひとつのコンプレックスでもあるかもしれません。
この道一筋というのは。

でも、3年で入れ替わるとすれば、それは大きな企業の
室長交代とほぼ同じ。もっと早く1年で3人室長とか先生が
変わるところもあったりします。
7年も同じ教室の室長やるなんてほぼ奇跡に近い感じがあります。

と同時に指導歴でいえば、社員より学生の非常勤講師の方が
長いなどというのはありうることです。
特に非常勤を長くしている学生さんは優秀なのであまり塾に残りません。
入ってくる新人の社員はまともに授業の経験を積んでいない
方も多いのですね。
非常勤で応募したけれど、大学のレベルを問題にされて不採用。
でも卒業時に社員として入るならばいいよみたいなことが
昔はありました。

長く見ていると、大学云々はあまり関係なく、中学生の指導ならば
どこの高校に入ったかの方が重要だったりするのですが。。。

それとともに思うのは、
3年で半分になるならば、6年では4分の1、27年やってきた
というならば、2の9乗分の1。512分の1。
つまり、同期の人の中で今続けているのは0.2%しかいないのかー。
実際にはある塾からほかの塾へ移っているだけの分も結構
あるとは思いますが。だからほんとはもっと高い数字だと思うけど。

レッドデータブックに載るレベルだな。。。

http://www.pat-kyouiku.com
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール

春期講習5日目。状況終了。。。

今日も9:00~21:50

中に抜けはあったのではあるが、
毎日ハード。

企業であれば、3時間くらいは時間外もらってるな。
1回1回全力なので、21:50が終了すると30分くらいは
放心状態であります。

この間のブログ(僕の原風景とか合格実績云々)で、
学習塾として少し敗北主義的すぎるのではないかというご指摘も
頂戴したので、あくまでも目指すのは合格であり、勝利であるという
ことは付け加えていおきたいとも思います。

しかしながら、倍率が3倍とか4倍という状況では
勝利よりも敗北の方がむしろ普遍的な風景ではないかと
思うのです。

たとえば、スポーツの世界でも今甲子園していますが、
参加校すべてが勝利を目指しているけれども
優勝できるのは1校です。
じゃあ、敗北したそのほかの高校は無価値なのでしょうか?
殴られたり、叩かれたりするべきなのでしょうか?
この間、どこかの中学の剣道部のコーチが、負けた生徒に体罰を
加えていた。あれ?行き過ぎた指導でしたか。教育委員会の裁定は。

僕は学習でもスポーツでも勝利を目指して努力しないことは
叱られるべきだと思うのですが、
そのことと勝利できないことは別物で。
努力したのに勝てないという状況に刃はつきつけられる
べきではないと考えます。

評価も同様です
定期テストうちの子も点数取れません。
親はえてして結果で誉める。叱る。なぜできないんだ。
その過程を見ずしてです。評価は過程でなされるべき。
過程が欠落したところで結果を得ても一過性のものでしか
ないように思います。

確かに一般社会においては結果がすべてという側面は
あります。しかし、その結果成果というのは継続的に出してこそ
評価されるのではないでしょうか。

敗北や不合格というものが勝利や合格などよりも
より普遍的にであるならば、そこから何かを学び取り、立ち上がり
次の段階で成果を継続的に出せるようになることが
大切だと思うのです。

これも広告です。

エキテン!さんの
ページを更新いたしました。

新しくメニューの欄に各学年の時間割を
入れております。

http://www.ekiten.jp/shop_6045421/

春期講習4日目。状況終了。。。合格実績は。

9:00にスタートし21:50終了です。

送迎の保護者の皆様ありがとうございます。
お母さんたちも大変です。
ご支援あっての春期講習です。

本日は新高1の子たちが勉強に来ていました。

「せんせー。私の合格実績なんて貼ったらかえって、
塾にとってマイナスじゃないんですかー」

そうではないのです。
うちの塾の優秀性をアピールするための合格実績ではないのです。
だとしたら隠しておいた方がいい実績というのもあるかもしれない。

合格実績は生徒さんの頑張りを評価してもらうために貼っているのです。
こんなに頑張って合格したのです。
頑張ったね。という意味で。それに難関校も偏差値が低い学校も
関係ありません。
一人一人の頑張りに質の差なんてない。
むしろ重要なのは頑張っていた過程なのではないでしょうか。

世間一般では、難関高校・大学合格がその塾の指導力という
見方があります。
実績が出ている塾が優れている塾かどうかはわかりません。

どこかのように優秀な生徒は無料!みたいなことをして
優秀生ばかり集めれば、塾は何もせずに実績をあげられます。
それが塾にとっては一番楽な方法かもしれない。
さらには、奨学金だって積めばいいのです。

うちの塾はそんな塾ではない。
塾の看板を作るのに生徒の実績や模試の結果は使いません。

僕の塾が優秀ではなく、そこに来てくれた生徒が優秀で、
なおかつ努力したのです。褒められるのは塾じゃなく、生徒たち。
その生徒たちが行った努力なのです。

だから、胸を張って実績は掲げます。
努力の結果じゃないか。どんだけ頑張って取り組んできたか
知ってるのだから、それを消すことなんてできるわけありません。

一方で優秀な生徒が集まるところで競争させたいというのも
一つの考えではあるのです。また、それが塾の実力だといわれれば
そうなのですが。。。

企業の論理とお客様。。。

えーと。

私が以前在籍した塾は株式公開企業だったり、
上場企業だったりしました。

これらの塾さんは生徒さんが来ないと教室をクローズします。
当たり前ですよね。
一般企業として赤字を垂れ流している部門はカットしないと
株主に申し訳が立ちません。
全く持って企業として非の打ち所がない。
ですから、1年程度で見切りをつけて、資源を別な有望な市場に
投下します。
そうしなければ年間に数十億の黒字を生み出すことなどできない
はずです。

でも、そのクローズする教室でもその塾がよくて通ってくれている
塾生さんはいるのです。
自分がいる教室がクローズになったことはないのですが、
私はどうしてもその形が嫌なのです。
企業として黒字にならなくても、一人でも支持してくれるお客さんが
いるならば、放り出して逃げ出したくはないのです。

私が塾を立ち上げているのもその気持ちからです。
もしも、企業人であったならば、教室のクローズとともにその場所を
去らなくてはいけません。
そして、その判断は自分ではないところで下される。
たまらなく気持ちが悪いのですね。

自分と自分のお預かりしているお客さんの状況を、
関係ないとは言わないけれど、数値で決められることが。
今ならば、それは私の手の中にある。
私が死ぬまで、あきらめるまで、お客さんが最後の一人になるまで
頑張り続けられます。

生活のことを考えると立ち行かないので、
他でバイトしたりとか、非常勤でどこかで使ってもらったりとか
ということはあると思います。非常に悲観的な未来ですが。
でも、その腹はくくっています。はじめから。

サラリーマンになるために塾の先生を選んだのではなく、
塾の先生であり続けるためにサラリーマンだったのですから。

あ、でもうちだけで食べていきたいので紹介をよろしくお願いします。
最後は宣伝です。

春期講習3日目。状況終了。。。

本日は中2だけ。
4教科。3時間半ですか。

以前に比較し、文法の時間が増えてきた影響で、
だいぶ内容的に覚えているケースが増えてきました。、

それまでは、本当にbe動詞と一般動詞を併用する。とか
見境なくareを使うとか多かった。
主語がyour brother だろうが your motherだろうが、
お構いなしに、だってyouついてるやん。くらいの勢い。

この入試を終えた娘や今の新高2、高3あたりは、
英語の授業で文法の時間があまりなく、会話中心の「使える」
英語を目指していましたから。
高校入試の際には全く「使えない」状況になってしまっていた。

主語・動詞などの成分を十分に理解せずに高校に行くので
一番最初の文型でもうアウトでした。
それから見ると高校入試英語的になってきているので、
私の負担も少し減った気がしています。

ただ、
いまだにbe動詞=~です。などと書いている本もあり、
もう少し高校に入ったときのこととかを想定しておいて
上げてほしいなと思います。
こちらで補足の機会をくれていると思うことにします。