先日ラヂヲを教室に行く途中聞いておりました。
FM802の「進学への二人三脚」という金曜の午前中の
番組なのですが、
そこで、センターに向けての勉強(国語)みたいな話がありまして、
「小説については客観的に読むことが大事です。感情移入しても
問題が解けません。」のようなことを
「客観的に読む練習を高1のうちからしておかないと」
のようなことが述べられていました。
正直聞いていて若干悲しくなりました。
北海道ローカルの番組だと思うのですが、
私が大阪で国語(その割にこのブログの助詞がおかしいという
突込みは覚悟しております。申し訳ございません。)
を教えているとき、小学生に対して
説明していたことを、北海道では高校生までしないのか?
国語さえ入試のための道具であると考えている私は、
「小説物語は感情を交えず読むんだよ。感動して涙ボロボロ流したところで
合格させてもらえないからねー」
みたいなことを生徒さんに申し上げておりました。20年近く前ですね。
これでは、基本的に積み上げが必要な国語という科目の
格差はなかなか埋められないような気がするのです。
もしも高校生になるまで、客観的に読むということが
伝えられていないのならば。
国語の指導者の方には異論があるかもしれませんが、
思い込みの排除は国語という科目の中の基本だと思っていますし、
教えてさしあげないと客観視というのはできない。
そして、付け加えると
小中学生の場合、小説物語の一番急所になるのは
人間関係であることが多いと考えています。
人間関係の客観的かつ正確な把握でかなりの出題が対応
可能ではないかと考えています。
たとえば、一つの行動がその登場人物にどのような影響
-心情であるとか、その心情に基づいた行動を引き起こすか
を考える場合に、人間関係というのはかなり大きなファクター
になるはずなのです。
嫌いな先生から殴られる。
信頼して敬愛する先生から殴られる。
イジメ体罰の話でも書きましたが、その後の展開は自ずと
変わりますよね。どちらも体罰のはずなのに。。。
殴られるという行動のみにフォーカスをあてても正確な
答えが出ないでないでしょう。おそらく。
ただ、この段階から高校生が指導を受けているとしたら。。。
考えると悲しくなります。
ラヂヲに出演されるくらいなのでかなり権威のある方なのだと
思います。高校生の状況もよくご存じなのでしょう。
いま、北海道の高校生を取り巻く状況がそのようなものであるとしたら、
私は少しでも小・中生のうちから、全国的な水準になっていただくための
お手伝いを仕事を通じてさせていただかないといけないなと
思いました。
青年の主張チックですね。でも本気で。