あらためて、共育の意味。PAT共育ゼミナール

PAT〝教育”ゼミナールで検索される方がいまだに多いです。
配送物はPAT「共有」ゼミナールで届くことも多いですね。
心の中で、何を一体共有すんねんと突っ込んでいますが。
また、進学塾ですか補習塾ですかというお問い合わせも
あるのですが、これにうまく答えることはできません。
僕の中では2つは不可分の関係になっていますので。
学校内容の定着なくして、
中学でも高校でも合格はできないので。
でも、学校内容だけしていっても次のステージでは
困ったことになってしまう。
小学校の本科コースで中学受験の内容まで教える塾は
少ないと思います。けれど、小学校内容が万全なだけでは
札幌市、特に中央区の中学校に進学しても苦戦することは
私の経験上、明らかなのです。
中、高、大という子供たちの次のステージの始まり、そして
生活を豊かなものにしてあげたい。
というのPAT共育ゼミナールを立ち上げた時からの理念です。
だから、あえて教育を使わないのです。
共育には様々な思いが込められています。
保護者の方と保護者の目線でともに子供たちを育てていきたい。
その共育です。
親としての悩みは共有できるから、共有ゼミナールでもいいのだけれど。
また、先生という立場でありながら、僕は自分のことを未熟な存在であると
規定しています。ちょっとだけ(年数からいえば大いに)
生徒よりは先輩だけれど。
自分も生徒とともに育ちあっていく存在でありたい。
よく生徒に対しては叱りますが、根拠を提示しない叱り方は
していないと思います。生徒は怒りをぶつける存在ではないし、
お互いに良い影響を与える存在として尊重しなくてはならないから。
そして、生徒たちが影響しあいともに育っていってもらえる
場にしていきたいと思うから。
学習塾とは「場」である。これは、以前在籍した栄光ゼミナールのSさん
二文字(とてもとても偉い方)の方の持論です。
(他に、お世話になった漢字一字のSさんもいるのでややこしい。)
まさにその通りとであると、失礼ながら感じた言葉でした。
3つの意味で「共育」なのですね。
日々、自らの戒め、行動の軸にするために、塾名としています。
自分のこの行動は「共育」の理念にかなっているだろうか。
僕の行動の塾としての最終決定はこの言葉にかかっているのです。
かたい内容になってしまいましたが、
当の僕はチャランポランでであるからこそ、軸が必要なのですね。
成績だけ上げてれば塾なんだからいいんだよ。
そんな考え方は当然あるべきです。
けれど、人として人の人生にかかわる以上、それだけでは
無責任すぎると僕は思います。
この国の未来を託すわけだから、
人としてまっとうに育てる責任が教育の一端に携わる
僕にはあると思っているのです。
いやあ、ちょっと暑くるしすぎました。
で、長いし。ごめんなさい。
書いてて恥ずかしいかもしれない。
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札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール

あらためて、共育の意味。PAT共育ゼミナール」への1件のフィードバック

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    お邪魔します♡ネットサーフィンしていたらこちらに着きました(´・ω・`)♡日常のブログなのにじーっと見てしまうようなブログでした♪更新頑張って下さいね!待ってますよ!また来ます♡

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