泣いてても意味はない。ある日の出来事です。

今週の月曜日、珍しく熱が出たと書きましたが、その後、授業をやってひと汗かいたら、治ってってしまいました。
バファリン級です。
かの薬品の半分がやさしさでできていると聞きましたが、その点でも同様ですね。
鍜冶の授業も半分はやさしさ(自分に対する)でできています。

昨年来、末の娘はミニバスを始めました。フィジカルだけで、人数の少なさもありそこそこレギュラーポジションをもらっているらしいのですが、当然、そのことには責任が伴います。
コーチにも叱られるわけです。で、迎えの車の中でシクシク泣いていたりします。ブチブチ、こぼしています。文句たれています。
「もう、泣いて文句しか言わないならば、やめればいいじゃん。」といいました。「こちらから、お願いしてやっていただいていることではないし」
沈黙です。

はやりの言葉ではありませんが「やらなきゃ意味ないよ」なのです。
塾でも、叱られて、例えば、宿題をしてこずに叱られて、泣く寸前の子もいますし、問題が出来なくて半泣きになる子も、ガチで泣く子もいます。生活態度についてのお説教で泣く子もいます。
これだけ書くとどんだけ恐いねん。というレベルですが、ときどきというだけです。いや、ごくまれにです。
でも、優しく慰めたりはしません。鍜冶は冷血ですから。構成成分の半分=やさしさは自分向けなので。
涙をどれだけ流したところで、自分を変えて取り組まないと変わらないし、変えられないから。
泣いたところで、宿題は減らないし、
問題が易しくなってくれるわけではない。
問題ができないことを問題のせいにしても、始まりません。そこを理解してもらうことからスタートなのです。
「全く意味のない涙だよね。泣いて何とかなるのかよ。」
とさらに叱られます。
「どこがわからないのか」
それを細かく見て行って、本当にわからないのかどうなのかを見極めなければなりません。
お話を聞けてないだけなのかもしれません。わからないと勝手に思い込んでいるだけかも。
面倒くさいだけということも考えられます。

親や指導者は涙に流されてはいけない。

件の娘は、その後、車の中では文句を言いません。泣きもしません。
「下手なら怒られて当たり前だよね。そして、外部要因に理由を求めても上達はしないよね。上達は自分の中にあることだから」
ととどめを刺されたせいでしょうか。
僕自身、アメリカンフットボールが好きでスポーツといえばそれしかほぼ見ない。バスケはわからないのですが。
塾の指導に例えるとこんなところなのかなと思っています。

2018夏期講習まだまだ募集中です。

2018年7月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : patkyouiku