昨日、コメントへの返信とブログ更新したはずなのですが、
なんか消えてる。
ミスでしょうね。多分。
コメントを頂戴したので、ご返信方々歴史を教えるということに
ついて書いていこうかなと思います。
基本的に、僕は歴史の指導内容は実証主義に基づかないと
いけないと思います。確かに、資料の不在を埋めるために
想像力を働かせる場合もあるでしょうけれど、その内容に合理的な
解釈が必要だろうと。
また資料には書かれた人の立場状況を勘案していく必要が
あるだろうと思います。
単なる願望やべき論で書かれた歴史はファンタジー以外の
何ものでもないと思うのです。
指導の際にはその点を意識します。
歴史についての判断を何事か自分で下し、自己決定できるような
自立した個人として成長してもらうことが重要だと考えます。
だから、記載があったとしても事実に反しているならば、教えられません。
結構、最近の研究では否定されている事実が教科書に
載っていることも多いので。。。
いろいろいな説があるならば、それはできるだけ紹介するようには
します。先生はどっちだと思うと聞かれれば、自説は言いますが。
歴史教育は自分の国に誇りを持てるようするべきかどうかは、
わからないのですが、少なくとも未来のこの国をあるいは地域を
そして、その子自身の人生をより良いものに
していくためにするものだと思いますし、
海外に出たときに、このような国なのだと最低限語れるような
内容にしてあげたいなと思います。
結果、自国に誇りを持てたのならば、それは素晴らしいことだし、
歴史的にはここで間違えたよね、という反省と改善を問題意識の中で
持てることも素晴らしいことだと思います。
たとえば、ナポレオンは軍事的な革命を世界にもたらしました。
フランスではヒーローだと思います。
でも、諸外国から見ればマイナスの側面ばかりが目立ちます。
人は立ち位置によってその見えるものが変わるのは当たり前。
しかし、そこでその見え方はおかしい。ということは、言えないと
思うのです。見方がおかしいは言えます。
ここでの違いは、自然と見えてしまうと
意識的に見てしまう。自発であるのか、意思が働いているかの
違いくらいでお考えください。
まあ、事象というのは相対的であってしかるべきなのですから、
さまざまな解釈が登場するもまた当たり前。
それを一つの見方しかありませんと刷り込むことが、洗脳だと
思うのです。
国をまとめ上げるため、洗脳が必要だという立場は理解できますが
共感はできません。他国や他民族を貶める必要も全くない。
僕が教える歴史の授業を洗脳にするつもりはないし、
国家は国民を洗脳すべきではない。
人がより良く生きるためのシステムが国家だと思います。
参政権が与えられている意味。
それは国民が何かを国ために成したい、地域のために成したい。
周りの人々に何かを成したい。自らも幸せになりたい。
そんな未来の国を素晴らしく作るために我々は所有しているのだと
思うのです。国づくりというのは国民の権利だし、義務でもある。
その予備軍をお預かりしているのが学校であるし、
私たちも一翼を担っています。
今回は話が大きくなりすぎました。
でも、その矜持は持っているつもりです。
コメントのお答えになっているかどうかは、自信が
ありません。
長文すみません。
コメントありがとうございました。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール
ぽおっと発信 札幌市中央区 学習塾 PAT共育ゼミナール代表のブログ
何とかしましょう。PAT共育ゼミナール
中学受験対策の社会をしているのですが、
歴史の総復習は必要だなあと感じています。
これからはほんとに本気の受験モードなので、
あと3か月で何とかしていきましょう。
地理もそうなのですが、やはり歴史は重要。
教育として。
ここを間違えると周囲の国と軋轢を起こしたり、
誤解を生んだりしますから。
日本の歴史教育の優れている点は、教科書が野球中継の
アナウンサーのような部分だと思います。
まあ、まあ、客観的に状況だけを述べる。
しかし、解説者がいなければ面白くないのです。
教師が解説者となるのでしょう。
このシステムは事実の列挙であり
こうあってほしいなあという願望や
こうであるべきだという主張を排除するので、
どの国に対しても平等性を一定程度保つことができます。
でも、一方でつまらない。教科書に物語性がないのであるから
読んでてつまらない。
また、客観性を保つことは可能であっても、
都合の悪い事実は掲載しないという手法もとれるわけです。
(その部分から、違った観点の歴史教科書が作られていくのだと
思いますが。)
とすると、教えるサイドの力量や思想が大きく
反映したものになってしまう。
史観や主張を排除すると歴史嫌いの子供を作ってしまう。
取扱いの難しいシステムだなと思うのですが、
子供たちがどのように歴史をとらえるかという
解釈の余地は大きいから、歴史を自分でどのように考えるかを
学ぶ機会を与えることになると思うのです。
教育が国民の洗脳のための道具であってはいけない。
同時に個人の洗脳の道具でもないことは明らかです。
国民教育は必要だとは思うのですね。
国民としてのしてのルールを考え方、生き方を子供たちは
身に着けないと不都合なことが子供たち自身に
降りかかるかもしれないから。
でも、一人一人の子供たちがよりよく自分を生きる。
それが教育の目標だと思うのです。
国民教育を間違えると他を貶めることで自分たちに
誇りを持ち、そのほかのことを受け入れられなくなる、
そんな思想、発想として窮屈な
国民を生み出しかねないのかもしれないなぁ。と思います。
ちょっと政治的な内容すぎますかね、でも政治と教育は
不可分だし、道具としての教育は子供たちがよりよく
生きるための道具にしなくてはいけないし、
子供たちが自分でものを考えていける責任がほんのちょっとだけど、
僕にもあると思うので。僕自身も受験の道具ではないと思いたいので。。。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール
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いよいよ定期テスト対策。PAT共育ゼミナール
2学期末の定期テスト対策も
この中旬からスタートします。
おおよそ11月の15日前後を中心に
分散しやすい日程ではありますが、早めの準備を
しておきたいと思います。
理由はいくつかあって、
中3においては学力Cと同時並行に進みますので、
A・Bでとれていなければラストチャンスとなる
その時間を確保しなければならないという
点があります。
中2は内容のハードさ。
数学が連立方程式、そして一次関数。
理科が電気・化学変化
英語は不定詞と点数の差がつきやすい
内容が山盛りなので。。。
この内容に関してはおいおい勉強法などを
まとめていくつもりですが。
中1は、いよいよ得点差のつきやすい時期に
かかっていくこと。
この部分の勉強の質が、
中3の後々まで影響を与えることは
多いので。。。。
これについても、少しまとめていきたいなと思っています。
最近、乙武さんがツイッターで、書いたことが
ネットで炎上とかの、また騒ぎになっているのですが。
東京五輪の招致のネタだったのですが、不快に思われた方が
多かったようです。
僕自身は何でそんなに炎上騒ぎになるのかわかりません。
滝川クリステル:「おもてなし」
乙武洋匡:「てあしなし」
だそうですが、これを自虐ネタ的にとらえる。まあ、あざとい
とか。。。人が多かったみたいなのですが。
自虐では全くないと私には思えます。
それは障碍を障害ととらえれば、
自虐でしょうが、障碍を個性ととらえれば、なんら自虐ではない。
個性としてとらえることがノーマライゼーションの一歩だと
思っている私としては、なんらうつむくことなく、
言えてしまうことはすごいなぁと正直に思いました。
個人の感想ですが。。
そう考える、僕の考え方は間違っているのだろうか。
気楽に「個性だから」とかは言えない現実が横たわっているし、
解決していくのは一人一人の責任だと思うのです。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール
ぽおっと発信 札幌市中央区 学習塾 PAT共育ゼミナール代表のブログ
10月に入りまして。。PAT共育ゼミナール
今月中から定期テスト対策ということに
なります。
何とかここで中1は良い席を取っておく必要があります。
まあ、書き込みをお休みしている間にも
塾閉鎖、であるとか、赤字教室とかいろいろ
検索結果がありました。
どこか、また閉鎖なのでしょうか。
まあ赤字といえばうちも赤字なので、生徒さんの
紹介をお願いいたします。
以前、教室の閉鎖は企業型塾としては必然的な
話を書きました。
経営的に体力がなければ、閉鎖は必然です。
また、一部の赤字教室を残すのは社内的によくありません。
それが新しく出した教室ならばまだしも、
赤字に転落した教室は、よっぽどの理由があっても、
社内のモラルという意味で残してはならないのです。
それが、2期3期連続ならば、当然です。
絶対に社内に不平等感が生まれます。
「あいつらも頑張っているから」=みんな頑張っているはず
で理由にはなりません。確かに潰れない教室からは感謝されますが、
潰された教室にあたっていれば、あいつらはよくて、うちらは
何で?ということになります。
会社として大きくしていくという目標があるならば、
事実のみで判断し、モラルを維持する必要があります。
生徒人数がいかなければ、クローズねと言われていれば、
その約束は上司として果たす必要があります。
前書いていたことと矛盾するように感じるかもしれませんが、
今はあくまでも会社として組織としての判断。
いわば、社員に対する言い訳として書いています。
顧客の立場は一顧だにしていません。
たとえいい約束だろうと、悪い約束だろうと
守らない上司は信用を得られない。多分追従者は
得られます。安心できます。
この原理は部長だろうが、室長だろうが変わりはありません。
もしも守らないとモラルは維持できない。
口では厳しいこと言ってるけど、実は、ちょろいよね。
表面はいはい言っとけば大丈夫だね。
という面従腹背を生む下地を作ります。
それは確実に生徒に伝播するのがうちらの仕事の
辛いところなのです。
学校の先生も同様かもしれませんが。。。
約束を確実に履行する覚悟なくして、部下に約束は
履行させられないと僕は思います。
その覚悟ができないならば、人の上に立つべきでもないかな
全てが履行できるわけではないと思うのです。
しかし、覚悟さえないのに、環境がとかさらに上司がとか
責任を転嫁していたら、もうその組織の行く末は
明るいものではないのではないかな。という
悲観的な判断をしてしまいます。
顧客にとってはそんなことどうでもよくて、
そちらさんの都合。
教室がちゃんと維持できて授業が滞りなく進み、
成績が上がり、合格できればいいのです。
と考えてくるとなんで塾を会社組織でしてるのかなー。
と僕には思えてきます。
顧客に喜んでもらえればいいと思っている。
僕が小人物なのですね多分。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール
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久しぶりの更新です。PAT共育ゼミナール
面談期間は思うところもあり、
更新を控えておりました。
明日で面談も最終日ですので、
明後日以降随時更新をまた重ねていこうと
考えています。
しばらく使わない技術は衰えるのが
世の常です。
更新のしかたを2週間余りの間に
忘れてしまったかもしれないので
テストということで。。
一部の皆様にはご心配をおかけしましたが
今後頑張ります。
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最近思うのですが。。。PAT共育ゼミナール
僕は大変生意気なのですが、
塾と私立中学・高校は民間企業であるという
点で同じだと思っています。
まあ、塾なんかと一緒にするなと
思われる私立の先生もおられるとは思います。
あえての暴論です。
どちらも名前を生徒と変えてはいるものの
お客さんがいなければ商売が成立しないという点において
民間企業なのです。
民間企業であれば、一番偉いのは
お客様です。つまり、サービスを受けてお金を払う側だと
思うのです。だからと言って何でもしていいわけではありませんし
しつけるということをサービスとして、提供しているのであれば
叱らないこと自体、サービスを受けている人に対して
不誠実な態度なのです。
そこで、最近思っていることなのですが、
北海道のサービス提供者は塾にしても私立の学校にしても
偉そうだな。と思います。むろん一部なのですが。
家で自分ではできないことを求めてサービスの提供を
受けに来るのだから、家でできることをうちはしません。
例えば、漢字の練習や計算は家でできることです。
宿題には課すけれど、授業の中でするべきこととは
思わないのです。
私立中学・高校でも公立よりもひどいじゃないかという
事例はよく聞きます。いちいち上げていくと
学校も特定できてしまうので。。。
あげませんが、たとえばコース間で扱いに差があるとか。。
それは、大切にされていないコースの保護者の方は
怒った方がよいと思います。
なぜ、同じ授業料を払って、(奨学生では成績の
悪い方がお金を払うという図式ですよね。)
成績の良い子や特定のコースの子だけが優遇されるのか。
もう一方が悪い言い方すれば財布扱いされるのか。
どちらも大切に扱うことくらい。公立以上に大切に
扱うことくらい難しくもなんともないと思う。
でも、立場が弱く言い出せていないケースも多いように
思います。クレームにもならない。
クレームは、質が悪いからとか量が少ないから発生するのではなく
自分の支払う対価と物品、サービスが伴わないから
発生するのだと思います。
だから、クレームが少ないことだけを優秀さの観点に
することはできないと僕は思っています。
無論少ない方が当然いいのですが。。
むしろ、健全なクレームはサービス提供者を成長させる
と思っているので。
北海道の保護者の皆さんはもっとクレームつけてもいいと思います。
お金を払って通わせてあげているのは皆さんなのだから。
ああ、当然、うちの塾をその例外にする気はありませんよ。
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夏期講習の看板おろさなきゃ
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今日は朝からPTA活動。PAT共育ゼミナール
今日は朝から、
中学校の広報委員会でした。
軽い打ち合わせと進捗の確認だけなのですが、
広報誌を作る作業というのは
打ち合わせの回数もそれなりに増えてしまいます。
最後までなり手のなかったクラスも選出が行われたようです。
人間が利で動くものだと考えてしまうと
PTA活動のなり手など誰もいなくなってしまうかもしれません。
公立中学の活動はボランティアが多く、
実利の見返りなどほとんどない。
しかし、必ず、こんな時期とはいえ
全てのクラスで選出が行われるということは
「利」ではなく、「思い」で動くのもまた人なのだ
ということを教えてくれるのではないかと
私は思います。
だとしたら、『思い』のある人の
『思い』が載った広報誌でなくてはいけないと思います。
今年は、皆で話し合い広報誌祭りには出さないと
思います。そこで賞を取ることが目的にしても
それはPTAとしての思いが十分に載らないのではないか
という結論です。
また当然、PTAでお金を出しているのだから、
何らかの成果を目に見える形で出すべきだという考え方も
あります。
それは否定されるべきではないと思います。
ただ、いろんな考え方を認め合わなければ、
地域の発展とか、多様性とかそんなものが子供たちに
保護者に根差すわけもないのではないかなと
考えています。
今までと雰囲気がちょっと変わるとは
思いますが、いい広報誌にはできるのではないかな
と考えています。生意気ながらなんですが。。。
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保護者懇談実施中。PAT共育ゼミナール
まだまだ、採算ラインまでほど遠い。
(教材会社の方から上出来ですよ。
とかいわれていますが。1年後に到達すべき数字だそうで、、、)
流石に、5月の段階より生徒数が2倍
くらいになっているので、
営業時間に対する
保護者懇談の密度が濃くなっています。
1件について、約1時間オーバーのお話をしているので
授業をする以上にテンションが上がり傾向。
その反動で、ブログはテンション下がり気味。
すみません。
で個人面談の方ですが、
こちらからお話するよりもお聞きしたいというところが
大きいので。いろいろな世間話含めお聞きしています。
うちの主張ではなく、ご家庭の要望を
まとめていきたいと思っています。
ただこの半年間に掴んだ生徒さんのディテールは
お話させていただいて、確認をさせていただいております。
唯一ある
PAT共育ゼミナールとしての一貫した主張は
次のステージに上がっても困らない。に集約されます。
小学生であれば、中高で困らない知識と学習習慣。
中学生であってもそれは同様。
高校生は進路受験について。高1からです。
一つ言えるのは、今つきっきりで成績を上げることは
出来るし、近視眼的なゴールに到達させることが出来る。
しかし、塾からの指示なしで何もできなくなっているという
状態にはしたくないのです。
これから長い人生を歩む生徒さんにとって、
人生を誰かに委ねなければならないとか、決めてもらわねばならない
という状態だけにはしたくないのです。
そのため今何をしていくべきかという
お話を中心に進めさせてもらっています。
話の内容は個人の特性や現在の学力の応じて
全てかわっていますね。
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本日より保護者懇談会。PAT共育ゼミナール
定例の保護者懇談会が今日からスタートします。
夏期講習からの結果と今後の方針が
主たる内容になると思います。
結構厳しいお話をさせていただかなくては
ならないケースもあり。。。
しかし、子供と親の成長のためには
一定程度必要なのかなと思っています。
国でさえ、欠点があるのですから、
親や子供に欠点や不十分な部分がないわけがない。
間違いがあるのも当たり前、
それをどのように直していくかの話し合いです。
これができませんね。家で努力してください
ではわざわざ来ていただいている意味がないのです。
全て塾でできるわけではないのですが、
出来ることの幅は広いと思います。
しっかり子供さん、親御さん、そして僕が
出来ることを話し合って定めていきましょう。
よろしくお願いいたします。
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以下PRです。
ボトルが6本まで無料だそうです。
競争が激しい業界なのでしょうね。だから、ウォーターサーバー無料
みたいなことがあるのでしょうか。
こちらは、水が無料。お試しだそうです。
それに意味はあるのですか?PAT共育ゼミナール
静岡県では、この前の学力テストの
国語の結果が悪かったので、成績が悪かった学校の
校長先生の名前を公表すると
知事さんがおっしゃっているそうです。
県下532校だそうで。。。
でも、本当に効果があるのでしょうか。
絶望的な気持ちに知事さんはなったのだそうですが、
一番悪いということは前向きに考えれば、
いくらでも伸びしろがあるということではないか
と思います。
前も書いたかと思うのですが、47都道府県ごとに
順位をつければ、1位から最下位まである。
重要なのは全体が底上げされることで、
順位自体ではないはず。
例えば、学校で優秀者は発表しないけど、
下位100人は最下位から順に発表します。
ということになったら、どんなモチベーションに
なるでしょう。
ましてや校長の名前。
現場にどんな影響を与えるか。
わからない。
抜け出せるように頑張ってほしい。
確かにそうですが、人の名前が入れ替わるだけです。
下位100名は変わらないのだから。
大切なのは、競争による底上げであって、
不振者をさらすことではないように思うのです。
それに地域格差というのは残念ながら、
存在します。例えば、学力ABCというテストが
ありますが、札幌市内の中だけでも
60点くらいの学年平均差がある。
では、点数の低いところはダメな中学校なのか
決してそうではないと。
(息子の中学は下から数えた方が早い中学らしいので)
思ったりはします。その中にいる生徒はその中で精一杯
頑張っているように思うのです。
だから、下位100番内の学校だって、昨年度に比べれば
向上しているかもしれないし、
それを考慮に入れない発表のしかたであれば、
あまり効果はないように思うのです。
競争による成長は必要だと思いますが、
競争自体は全くもって目的ではありません。
そこで勝つことも。勝つための過程とそれによって
得られる成長こそが学力テストの目的に思えます。
受験とはまた意味合いが違うと思うのです。
受験は勝つことが目的です。勝つための戦略を練ります。
けれど、学力テストについて携わる人には、
それによって日本の子供たちを成長させるという
視点が一番、必要なのではないかな。
そりゃ、教育委員会も現場も困惑する。学校特定できてしまうし。
でも、学校が特定できるという点で困惑をとどめてほしくは
ないように思います。
部外者の一意見にすぎないのですがね。
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