PAT共育ゼミナール 4月アクセスランキング1位でした。

 PAT共育ゼミナールがエキテンの4月度アクセスランキング
北海道×学習塾で1位となりました。
ブログを読んでいただいている方、
みなさまのおかげです。
ありがとうございます。
継続的に更新はかけていきますので、
よろしくお願いいたします。
ちなみに、Yahoo!検索にて相変わらず、
札幌市中央区 学習塾で11位
札幌 学習塾で12位(1位上がっている。。。)
です。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール

中々内容のあることが。。

なかなか、内容のあることが
かけなくてすみません。
中1のまとめもまだだし、
ネタ帳にもいろいろたまってはいるのですが。。。
札幌市 中央区 学習塾
でYahoo!検索をしていただくと、
PAT共育ゼミナールが1ページ目に登場するように
なってきました。
現状、11位です。
Googleはわかりませんが、2ページ目くらいかな。
その流れほどは生徒さんが来られていないのが現状
ですが、問い合わせは増えてきているように思います。
塾というのは価値観を保護者の方や生徒さんそして僕、僕らが
共有する場であると思っているのですね。
ですから、入塾はしてもらいたいけれども。
問い合わせをしていただいて、お話ができるだけで
十分だと思います。
結果、価値観が合わないのにご入塾いただいても
お互いに得るものが少ないと思うのです。
塾のやり方に間違いも正しいもありません。
その方法を軸をブレさせずにやり抜けるか。
そしてそれがお客さんに受け入れられるかが
あるだけなのだと思います。
いわば、方針の正しさを証明するのは生徒・保護者の方だけです。
明日は集中してブログをアップできるかな。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール

現在テーマの整理中です。

大体1日の平均150件のアクセスを
いただいております。
エキテンは累計で250件のアクセスをいただいてます。
ただ、お読みいただく方が多岐にわたって来ておりまして、
徐々にですが定常的な読者の方も増えてきております。
読者の方にもわかりやすく
テーマを整理させていただこうと考えております。
そのため手違いで更新通知が入ってしまうかもしれないのですが
それは先にミスですと
お詫びさせていただきたいと思います。
ご迷惑をおかけするかもしれませんが
よろしくお願いいたします。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール

天職って。与えられるものじゃなく。。

よく人から、塾の先生は鍜冶の天職かもしれないね。
みたいなことを言われます。
「ありがとう」とは返します。多分、日本に生きる人の中でそういわれる人は
数多くない。理屈くさく言えばまさに有り難き存在なのだと思うのです。
でも、僕は生まれついてこの仕事につくことが決まっていたわけでも
天に定められていたわけでもありません。
自分が好きな仕事なので、その技術を磨いてきたし、
生徒たちとも付き合ってきたのです。
好きな仕事だからこそ天職(この呼び方がふさわしいかわかりませんが)
にできたという言い方が正しいのではないかと思います。
それにそれなりの原風景(私の原風景をご参照ください)があるので。。。
ですから天職というのは自分で見つけなければいけないものであって、
誰かから与えられるものでも、誰かが与えてくれるものでもないのです。
確かに「現実なんて、そんなに甘いものじゃないんだ」という考えはあります。
食べるために仕事はするのだよ。まさにその通りなのですが、
だからといって、天職をを見つける作業・努力を怠ることや
よりよい自分の仕事との付き合い方を見つける作業をすることは
全く別だと思うのです。
好きなこれでどうやって食べて行けるかを考えることは全く別のように思うのです。
自分の勉強をどのように糧につなげていくかを、本当にそれが好きなことなのか。
常に見つめながら小・中・高・大と過ごすことは決して無駄ではありません。
うちの塾はそのお手伝いをする装置だと思っています。
先日、テレビを見ていたら、ほんとに日本は解雇しにくいのかどうか
ということをやっていました。
その中で、会社からもういらないといわれて、リストラ部屋とかプロダクトなんたらに
チャレンジしているケースをしていました。
やめられない理由として、妻子の生活を守らなければ、というのがあるらしいのですが、
もしも、そのような発想で会社に在籍していたのならば、いらんこになってしまうのは
仕方ないかもしれないな。と思います。
会社組織は払っている給与の3倍の収益を上げる人間にしか給与は払えません。
福利厚生だの交通費だのそれを支える販管費だとかを考えると
そうなるのだそうです。
また、それ以上に功績があったとしても、害悪を垂れ流す。
あるいは、組織全体に対してマイナスのはたらきをするならば、
売り上げのマイナスにつながる。それもだめかも。
その人たちというのは、「その会社で仕事がしたい」のではなく、
「その会社に居たい」のではないかな。それはあきらかに天職の発見に
失敗していると思うのですね。
確かに生活は大切。でもそれはその人のであって、ある意味会社には全く関係ない。
その人を残しておくことで会社にとって損失しか生まないのであれば、
利益を作り出すのが会社の使命なのだから。。。
当然採用した責任も会社にはあるとは思いますが。
これならば勝負できるという得意分野が社内でしか通用しないもの
だから外に出ることも厳しい。いわば、汎用性のある能力を身につけることが
出来ていなかったのかもしれない。
それが最適な選択だと考えたことを責めることはできないし、
確実にその方がうまく生きることのできた時代もあったのですから。
今だってそういう側面はいくらでもある。
でも外に出た方が僕は天職を見つけられるんじゃないかなと思います。
個人的な感想だけで申し訳ありませんが。
だって、何度だってチャレンジはできるから。
僕は70オーバーまで現役でいるつもりですよ。
そんなこんなで、うちの塾がお手伝いするべきは2つ。
子供たちに
一つは天職を見つけるべく努力できる子供にしていくことと。
汎用性のある誰にも負けない何かを身につけるお手伝いをすること
かなと思います。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール

イジメに対して親としてできることって。(中2息子編)

朝、中2の息子が学校に行きたがらなくなっているらしいのです。
「どうも、イジメられているらしいわ。靴が冬靴(そうではないのですが)だとか
からかわれているらしいやわ。」
「それ、いじめか?」
「私もそうは思わんけど、本人はそう思っているらしいわ」
まあ、イジメか否かの判断は受けている当人のものなので、
いじめだといわれればそうなのでしょうが。。。
中学2年の男子であればよくあるケースではあります。
前も申し上げたように微妙な差異をあげつらうパターンです。
「親としてどう言ってやれば、いいのか。。。
気にするなゆうてもなあ。」
と嫁にしてはエライ深刻そうです。
僕としては息子自身に乗り越えさせようと思っているので
あまり現段階では何もする気はありません。
状況は把握し続けますが。。。
まあ、僕の発想はシンプルで、あまり頭のできもよくないもので。
「戦う」か「我慢するか」です。
戦うといっても、実際に喧嘩するということではない。
嫌だったら、相手のお母さんに本人から電話させろといいました。
「○○君からこのようなことを言われて、僕は大変嫌なのですが、
ご家庭で対処していただけないでしょうか?御本人に申し上げても
行動は収まらないで、余計面白がるだけかと思いますので、お母さんから
おっしゃっていただけると大変助かります。」
と本人から電話させろと。
親が言ってもいいのですが、本人から言わせる方がいいと思います。
いじめの被害者が言うことで、自分の子供がいじめの加害者に
なっているという自覚が生まれます。
そこで涙声でも出ようものなら。。。です。
それがクラスに伝われば、「こいつはヤバい」といことで誰も矛先を
向けないと思います。それがまっとうな人間関係の築き方かどうかは
おいておいて、収まる可能性はある。
当然リスクもあります(クラスで孤立するとか)が、
リスクを覚悟できないのであれば、我慢しろ。
あるいは戦い方を変えろ。です。
でも、どんな戦い方にもリスクはある。
一番リスクがないのは「我慢する」です。
本人にそこまで根性座っていれば、その程度のイジメモドキで動じるわけはない。
多分できない。
じゃあ我慢する?リスクは局限される。
出来ない?他の戦い方は、たくさんあります。
常に選択権はイジメられているサイドにあると思うのです。
そして、リスクというのはイジメているサイドの方が、意識している
していないにかかわらず大きい部分もあるのです。
たとえば、被害届を出されてしまったら。
マスコミに報道されたら。それはイジメている側の成長考えれば
よくないことかもしれない。でも、そのリスクは常に付きまとう。
その地域にいられなくなることもあり得ます。
それは極論としても
先生にいうでもいいし、
最悪、転校だって、不登校だって、立派な戦い方です。
不登校に対して逃げてはいけない的な発想もありますが
僕は立派な対処方法だと思うのです。
安易に選択してはいけないけれど。
親として一番嫌なのは自ら命を絶ってしまうことです。
我慢できない。戦えない。どちらも選択できないとき、
最後の選択として、それが浮上します。
そうなるくらいならば、不登校という手段で、状況が変わるのを
待つ。あるいは解決を大人に委ねるということもありなのかな。
「学校における状況が変わらない限り、学校には参加できません。」
そうならないように、
最大限の努力は図りますし、いくらメンタル弱いとは言っても
自分でそれを乗り越えなければ、社会でもっときついことあるだろう
というのが夫婦で一致したところではあるのですが。。。
ベースとして長男のメンタルの弱さが一番大きいのです。
多分、長女も次女も「ふん!そんなんいじめでもなんでもないじゃん!!」
ていうよな。。。
長女なんて
「あたしはなあ、もっとひどいいじめ受けてきたんだよ。
もうあらかた忘れたけどな。」くらいは言うかもしれない。
でもうちの子供らいじめに絡みすぎだろ。
平和なのは三女のマーちゃんだけかい。あと、モモもか。
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怒ると叱る。PAT共育ゼミナール的解釈。

以前のブログ「結果見たら怒ってしまいますよね」でとても使い方に苦労
した言葉があります。
それが上の2つの言葉なのです。
基本両方とをあまり区別しないで親・保護者は使っていることが多いのですが
僕的にはかなり大きな隔たりがあるように思うのです。
「怒る」は自分の感情の表出です。
ベースとしては自らの感情なので「腹立つわー」があります。
で、主としてその子供の態度などに起因して、
自分(親・保護者)の思い通りにならないときに
発生しがちです。
結構、言葉や体への暴力につながりがちのケースもあります。
これは伝え方を間違うと
あの人(お父さん・お母さん)何怒ってんの?
という上滑りの事態を招く。
と同時に、子供の態度として、
頭さえ下げておいて、冷却するのを待とう。とか
ふんふん言っておけばいいわ。という受け流し方をされます。
親は、余計腹を立てるか。すっきりするかなのです。
将来的な変化というのは親の自己本位であるがゆえにあまり
期待できないと思います。
では、怒らないのがいいのかというとそれも違います。
何について怒っているかを明確にしたうえで、
自分の感情をきちんと伝えることは家族間の関係だけでなく
人間関係を構築するために僕は重要なのではないかなと思います。
一方、叱るは一定程度、冷静さが必要であると思います。
叱るは相手の悪い点を指摘し、方向性をただしていく方向性を
持っているものだと思うからですね。
つまり、叱るは相手に焦点がおかれる必要があるのです。
そうなると感情をぶつけるだけではいけないし、次の行動を
変えて行く方向性、ビジョンが必要と考えられます。
ただ、しすぎると子供を追い詰めてしまうケースもあります。
相当な違いがこの2つにはあるということがお分かりいただけるかと思います。
たとえば、模試の結果という事象を考えたとき、
その成績を見て切れてしまう。=怒ってしまう。でも
それはいっときのもので行動の変化にはつながりません。
次の段階で行動、それまでの過程について叱る必要があるのです。
怒るで引きつけて、叱るで変化を促す。
これが理想形だとは思うのですが。。。
どうしても親のパワーは怒るまでで尽きてしまうことが
多いため、同じことの繰り返しになりがちなのです。
一連の流れで効果を上げるというのはかんり難易度の難しい
しろものだと思うのです。
私自身でも息子に対しては一連の流れを作れているかどうか。
でも、そこに塾としての介在価値というものもあると考えています。
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これはヤバいかもしれない。高1編

毎日曜日はブログの更新をお休みしています。
昨日もそうしておりまして。。。
公立高校1年の娘の週末課題を見ておりましたが。。。
これはヤバい。
量が大変多く。大変です。
しかも数学難民と化している娘のこと、
かなりの時間がかかるのです。
間違いも多く。。。まあ、因数分解は難しいから。
と思ってはいますが、因数分解よりやさしいところなど
今後、ないじゃないか。どーする娘よ。
と、その時思ったのです。
うちは娘が「親に聞け」という習慣を持っているから、
何とかこなしている。
数学が平均以下としても、もっと数学の弱い子も
いるはず。(と思いたいだけかも)
親にも聞かず、聞いても教えることが出来ず、
自分でも解決できないとしたら、
この宿題を解答丸写しで提出する子もあるのではないか。
そうなった場合。
高1段階では模試はベネッセくらいしかないけれども
高3になったときえらい痛い目見ることに
なるぞ。
高1の皆さんにはできれば答えの丸写しは
やめてほしいと思います。
まず、しっかり解いて、答え合わせをして、
やり直しまでしてほしい。
そうしないとおそらく覚えられません。
なんとか週末を切り抜けるだけのスタイルは
自分の首を絞めるだけです。
でも、時間的に厳しいよな。
やっぱ、塾か家庭教師が必要なのかな。
出来れば、それに頼らず自分のスタイルは確立
してほしいのですが。。。
うちの娘にもほかの高1生の子たちにも。。。
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新規生徒募集。

先週、SRJの方とお話した際、
どこの塾も全国的に、春の募集は苦戦しているという
お話を伺いました。
札幌の学習塾も雪解けが遅いのと同様、
立ち上がりが遅いそうです。
サッポロではなくサッパリですね。
古巣でも問い合わせは多いけど。。。
問い合わせがあっても入らないというのは比較検討の上
他塾に流れているのでしょう。きっと。
かくいう当塾も計画が約2か月から3か月くらい遅れています。
当初の予定では、
10月退職、
12月開業。
冬期講習で10名前後
春期講習で大きく集客という計画でしたので
実際は1月退職
2月開業
春期講習という流れなので、
計画段階での1月段階の在籍予定数
現実の4月の在籍実数が
ほぼ一致結果となっています。
大体2回の講習時期を経ないと十分に地域に認識して
もらえないという経験則からの計画だったのですが。
タイミングは仕方ありません。
というわけで当塾もまだまだ生徒募集中です。
ご紹介もお願いいたします。
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最近間違い電話が多くて。。。

どうゆうわけか最近
間違い電話が多いのです。
それで、011-206-1771
を検索してみると。。。
なんとススキノのクラブキャッスルという
いわゆるキャバクラが。
「昼キャバしてますか?」という
問い合わせが多かったのはそのせいか!
確かに、昼も夜の営業してるし、
時間帯も似たようなものかもしれないが。
接待できるのは、四捨五入で50歳になるという
おっさんだけです。
若い子は来ますが、すべて未成年でしかもお客さんです。
済みませんが、もう一度番号をお確かめになって
おかけ直しください。
しかし、以前にこの番号を使っていたのがそんな
お店だったとは。
基本、酒は一人で飲みたい方なので、全然縁がないんだよな。
というか、嫌いなのです。
その手のお店は。。人生とはなんと皮肉なものであろうか。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール

結果見たら怒ってしまいますよね。

道コンの結果を返したのち、
生徒たちが、
「怒られたー。」「何にも、言われなかった大丈夫ー。」
さまざまに言います。
「まあ、あの結果なら、しゃーないわな」
と私は返すのですが、
怒る、叱る分については、全然問題ありません。
ただ、しかり方のポイントとして、結果が悪いことを
叱ってもしかたないかな。
たとえば、試合に負けたことを怒って、気合が足りない。
とか怒るのは意味がないのではないかと
私は思います。
「どうして、できないの。なんて悪い成績なの」
はあまりよくないかなと。
むしろ、過程に注目してあげてほしいのです。
得点が取れない背景に注目して叱ってほしいと思います。
たとえば、模試に至る際に勉強していなかったことは、
怒られるべきなのですが、結果が出なかったことを叱っても
その次の段階では安易に結果を求めてしまう状態になります。
よい例が、確認テストにおけるカンニングや宿題を答えを見ながらする。
などです。
確認テストや模試などのカンニングは私にも指導の中で経験がありますが、
いくつかのパターンがあり、
その一つとしては、一つは良い点数を取ることで賞賛されたい。
いわば、自尊心がその原因になるタイプと
結果を出すことで、責めを逃れたい。逃避が原因になるタイプが
多いように感じます。
入試や資格試験、大学の評価試験などはまた違うでしょうが。
今朝、Z会から帰ってきた娘の高校準備の答案と評価を見ました。
数学は目標とするところよりきっちり40点足りません。
100点中の。
しかし、それで怒っても仕方がない。
答案を見ましたが、今の彼女の実力でどうこうできる問題ではない。
将来的には何とかしなくてはいけない。目標があるならば。
そのために力は貸します。
過程に問題があるとすれば、それはその現状を知りながら放置していた
本人と私自身にあるでしょう。
時間もかけて努力もしているはずだから、今度は方法を考えるべきです。
でも結果を見て叱らない。というのは厳しい。ものですよね。
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