北海道の高校入試①

来週には推薦とか私立とか始まって、落ち着かない気分の
人もあるかと思います。

私立を公立の前哨戦的にとらえている人も多いと思いますが、
私立の場合は問題にビビったもの負けの部分があるので、
問題の出来を気にせず、平常心を失わないようにしてください。
落ち着いて。
これまで、してきた努力は決して嘘はつきません。

みんなが結構頑張ってきたことはわかっています。

推薦も常に面接での積極性を忘れずに、
受け答えは大切かもしれないけれど、なぜその高校を受けるのか
その高校でどんな自分になりたいのか
したいことは何なのか

これまで推薦で合格してきた人は必ずこれを明確にできています。
うまく流れるようにしゃべることが出来たらベストですが、
それをできる人ののほうが少ないし、できなくても真剣に
それを相手に伝える努力を面接官の方は見ていると思いますよ。
たとえ、たどたどしくても。眼にだけは力を込めて。
面接の最中、自分がうまくしゃべれないことにどんどんへこんで
いく人もあるけど、
しゃべりのうまさじゃないから。伝えようとするハートだからね。
うまいだけなら芸人が合格するじゃん。

恐れず、立ち向かってください。

それともう夜更かしはしちゃあだめですぜ。

カウントダウン3

僕が独立して塾を作ろうと思った
というか決意したのは、塾の教員でありながら、
子供たちの勉強を見てやれていないという現実からです。

うちには中3を筆頭に5人子供がいるのですが、
勉強を見るくらいしか、親としてできることないのに、
それさえしていない現実。
十分に親としての義務を果たしていないと感じていました。

娘の友達を呼んで勉強会みたいなことをしていたりするのですが
それでも限界はある。
現状の仕事との絡みもあり、難しい。

だったら自分で作ってしまえー的な。
だから、中3の娘の勉強が佳境に入る8月後半を
目指していたんだけれども、直前の時期になってしまった。

私自身が5教科すべてを教えるというのは、その辺の部分があります。
親は子供の勉強を見るとき、数学はいいよ。英語はだめだよ。って
言えないと思うんですわ。なんでもお構いなしに子供は持ってくるし、
子供の苦手もそれぞれ違う。

あくまでも、子供たちの親としての発想で、塾は作っていこうと考えています。
だから、中学・高校・大学入れるだけじゃない。
それは多分に大きな目標なのですが、
生きるための道具を手に入れさせてあげたい。
親として考えるから、必要なことができなければ、必要であることには
常に妥協を許さず、厳しく接したいのです。

PATにはいろいろな含みを持ったせていますが、
「先生の領域に入っている親」という意味を持たせています。
だから、Tがはじめではなく、Pがはじめなのです。

明日から開業ですが、とりあえずは開店休業かな。
はじめのうちは、それもよし。

もともとたくさんのお客さんを預かる仕組みではないので…。

カウントダウン…

今週末、2月1日に開校の予定です。
いよいよ1月30日には折り込みチラシが北海道新聞の朝刊に入ります。
明日はコピー機の導入。そのあと教材会社と打ち合わせです。
教室の看板は1月30日の朝、一気にすべてを集中させる形に
しました。

これまでこっそりしてきたものを一気に顕在化させます。

この1月はほんとに激動でした。
銀行にはほぼ日参。
ハローワークにも国民生活金融公庫にも札幌市の
外郭団体、教材会社。リース会社、電気工事会社、
オフィス家具の中古販売店。看板屋さん。
100均やらホーマックやら。リサイクルショップにも。

また、ありがたいことに、送別会が2回
昨日も送別会で別の用事があり、途中で抜けたのですが
教室の古いメンバーも集まってくれて、ほんとに仲間というのはいいものです。
しかし、僕は一人の力で頑張ることを選択しました。
その選択には後悔は全くありません。

とても楽しいことには、会社で勤めていた時にはない学びが
必ず1日1個はある。
浅学非才なりに、浅学が広がっていきます。
近所の新しい道を通るときも、自分で新聞販売所に折り込みを
運び込むときも。
一本の電話をとるときも。

もう一つの気づきは
一人で頑張ることは選択したものの
一人で成し遂げたことは何一つないのです。
様々なサポート、小はほっかほっか亭でのり弁当のソースを
1個余計にサービスしてもらえたことから、
大は銀行でお金を貸してもらえること、
物件を家族の協力で借りられるようになったこと。

感謝だなと思います。
その助けに支えられて、カウントダウンにこぎつけました。
僕の売りは傲岸不遜ですが、ちょっとだけ感謝の心は
でているかも。
みなさん、ありがとうございます。
あと、4日(今日を含め)でスタートできます。

そして、袂は別ったとしても仲間や生徒のみんなは心の支えです。
ありがとう。

あれもこれもの雑事がぼくをせめますが、
思いついたときに書いておかないと、書けなくなるもんで。。。

入塾金の意味

各塾の広告を見ていると
入塾金というのをとるようです。
果たして、その根拠はなんなのでしょう?
事務手数料?
だとしたら、コンピューター入力のために、どれだけの人件費がかかっているの?
アウトソーシングすべきでしょう。
会員資格?
どれだけ高級なものなのでしょうか。
教材ならば、教材費でいただくわけですし、
何か納得のいく根拠が得られないなあと思います。
それぞれの塾さんの考えもあるのですが、何かきちんと理由付けが出来ないお金は頂戴できないし、
そんな時代でもないと思うのです。
ただになります。だから、いいでしょ。
という問題でもないと思います。
根拠がどこにあるのかという問題だし、
それじゃ、あらかじめ値札を高く張っているのといっしょでしょう。
割引率を大きくみせることで行政処分を受けたスーパーがどっかにあったような。それと、同じではないかな?
根拠がとか、いい始めたら学校の入学金だっ同様の気もしますが。
僕とこは入塾金なしなので余計に考えてしまう。
不思議です。納得してご納入いただいているにしても。払うことが普通であることは払う理由にならないと思うのです。
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中3生へ

本日の授業をもって、みなさんの中3生としてのカリキュラムは
終了しました。

もう明後日には北海道の公立高校の受験です。
この記事は多分中3生のだれの目にも止まりません。

ブログをはじめたことも何も教えていないから。
いわば、出さない手紙を書くようなものです。
でも、いつか僕のブログを発見したら、あの時はああだったよね。
と思い出して笑えることもあるかな。
と思って記録に残しておきます。なんせ、忘れっぽいので僕は

この1年間よく頑張りました。
いろんなことがあったと思います。私立の受験のあとまで、勉強しない
とお母さんに怒られていた人もありました。
社会が覚えられなくて、もう諦めるよと弱音を吐いていた人もいました。
結局、きちんと覚えられて成績も上がって、よかったと心から安堵のため息を
ほかの先生らとつきました。
いろいろありすぎて、書き尽くすことなんかできない。

もうあとは、受験するだけです。
自分のことを信じて欲しい。自分のしてきたことを信じて欲しいと思います。
自ずと結果はついてきます。
ツライ受験勉強を耐えてきたのですから。
いろいろなものを少しずつ犠牲にしてきたのですから。
出る結果は必ず良いものであると信じています。

でも、結果にとらわれる必要は何もない。
良い結果が出ないからといって悲観する必要は何もないのです。
皆さんは、人生という道を今走ってっている最中で、その点では僕も同じですが、
入学試験というはそのラップでしかない。ラップで区間賞をとっても、
優勝できるとは限らないし、そもそも、自分なりの幸せをゴールと考えれば、
それも一人一人様々です。
大切なのは、その過程の中でどれほど納得がいく努力ができたかなのです。
受験というのは、結果を得ること以上にその中で成長していくという意味で
重要なのです。

受からなくてもいいという意味ではないよ。僕はみんなの合格を本当に心から
望んでいます。なぜなら、それは、みんなが心の底から望んでいることだから。
みんなの努力を知ってるつもりだしね。
ご褒美をもらっていいくらいの努力をしてきたのさ。

この1年、なかには小4から6年間お付き合いさせてもらった人もいるよね。
僕ができたのはゆるやかにみんなの背中を押すことだけだった。
みんなは自分で走ってきたのだ。
でも、高校の門を入試のためくぐったあとはもう背中を押してあげることは出来ない。
本当に自分の足で歩かないといけない。
不安に思うことは何もない。もう、その力は十分付いている。
歩き出せ!
自分の手で自分の夢を掴みとれ!
そこにいないけど、先生たちの気持ちは君たちとずっと一緒にある。
晴れやかな笑顔で、試験を終えて出て来いよ。

そして、お家に帰ったらお父さん、お母さん、支えてくれた保護者の方に
ありがとうって言って欲しい。
誰よりもみんなのことを考えてくれているのは、おうちの人だから。

今の小6がヤバイ

僕の愚息は現在小6です。
学習面で若干ヤバイ。
ただ息子のみの現象ではなく、全体的に。
お預かりしてる生徒さんも昨年に比べて若干キツめ。
あくまでも、学校がうんぬんという批判ではなく、昨年も今も学校の先生は
とっても頑張っていらっしゃいます。また、個人の能力が下がっているということではなく
小4からのカリキュラムにちょっと無理があった感じなのです。
今の小6生が小5の頃、その当時の小6と同じ内容を小学校で学習していました。
小4の頃は分厚い補助教材があり、とにかくたくさん勉強していましたね。
その様子をなんとか乗り切れていると判断している保護者の方は多かったし、
僕自身もなんとかなっていると最近まで思っていました。
しかし、本当はそんなことなかった。。。
小4・小5の内容をかなりの比率で忘れているのです。
例えば、概数=小4内容ですが、クラスで何人もの生徒が忘れています。
これは、小学校の参観で感じたこと。
割合もどっちがもとにする数だっけ、みたいな感じになっています。
思えば、小5でカリキュラムが分厚くなったときでも、
学校の時間数はそれほど増えていない。
つまり、ひとつの単元にかける時間数が少なくなっているはずなのです。
なんとかなっているような気がしていたのは、
完全に僕の思い込みでしかなかったのです。
一部の小学校では、3ヶ月分カリキュラムが遅れているところ
がありました。
確実に積み残しがあるはず。ゆとりの時代でさえ、
遅れ気味で割合にほとんど時間がかけられない小学校があったのです。
このまま行くと、中学校での学力差が今年の中1よりも確実に開きそう。
それって、誰にとってもいいことではない。
先生がまず大変。出来る子は不満が残るし、できない子も授業が面白くない。
親だって。。。
せっかく希望に満ちたはずの中学校生活が
ストレスの高いものになるのはせつなすぎる。
とにかく、まず愚息をなんとかし、機会があればその友人も。
無論、お預かりしている生徒さんは春から5月にかけて割合の特訓を
補習でおこないます。
プロとして塾に通って、わからないは悔しすぎる。
出来ることは多くないけど、それは何もしないことの理由にはならんですよ。
子供らの幸せのために傍観者であることは大人として
許されることではないのだ。

僕らにとって

最近、古い本なのですが、「伝える技術わからせる技術」というのを読んでおります。そこでさらに思いを強めた部分。僕ら塾の先生にとって、必要なものを上から順に3個挙げろと言われれば、僕は
①観察力
②表現力
③教務力
になると思っています。
どれだけの知識を持っていても、その子に一番よう伝わる方法を使わないと成績は伸びない。
そのためにはその子のことを観察して、どんな個性なのかつかまないといけない。
いろいろな子供たちがいて、志向も方向性も違うのだから、伸びる方法もさまざまなはず、俺はこう教えるから、お前ら俺に合わせろ!確かに必要な場面もあるかもしれないけど。子供の個性をつかんだ上のことだと、僕は思う。なんか傲慢過ぎるような気がして。。。できんな。カリスマになることはできません。
なんか、ぐたぐたで申し訳ない!
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