カウントダウン3

僕が独立して塾を作ろうと思った
というか決意したのは、塾の教員でありながら、
子供たちの勉強を見てやれていないという現実からです。

うちには中3を筆頭に5人子供がいるのですが、
勉強を見るくらいしか、親としてできることないのに、
それさえしていない現実。
十分に親としての義務を果たしていないと感じていました。

娘の友達を呼んで勉強会みたいなことをしていたりするのですが
それでも限界はある。
現状の仕事との絡みもあり、難しい。

だったら自分で作ってしまえー的な。
だから、中3の娘の勉強が佳境に入る8月後半を
目指していたんだけれども、直前の時期になってしまった。

私自身が5教科すべてを教えるというのは、その辺の部分があります。
親は子供の勉強を見るとき、数学はいいよ。英語はだめだよ。って
言えないと思うんですわ。なんでもお構いなしに子供は持ってくるし、
子供の苦手もそれぞれ違う。

あくまでも、子供たちの親としての発想で、塾は作っていこうと考えています。
だから、中学・高校・大学入れるだけじゃない。
それは多分に大きな目標なのですが、
生きるための道具を手に入れさせてあげたい。
親として考えるから、必要なことができなければ、必要であることには
常に妥協を許さず、厳しく接したいのです。

PATにはいろいろな含みを持ったせていますが、
「先生の領域に入っている親」という意味を持たせています。
だから、Tがはじめではなく、Pがはじめなのです。

明日から開業ですが、とりあえずは開店休業かな。
はじめのうちは、それもよし。

もともとたくさんのお客さんを預かる仕組みではないので…。

カウントダウン2

今年は雪道でまだスピンをしていません。
自分本体は2回こけたけど。。。

では、なぜスピンしなくなったのでしょうか。

答えは簡単でタイヤを変えたからです。
スタッドレスタイヤの進歩は目覚ましいものがあります。

勉強なども同じことが言えて、武器を変えるだけで
成果が驚くほど上がることがあります。
考えれば、速く走りたいときのタイヤと早く止まりたいときの
タイヤ、長持ちするタイヤと早く曲がれるタイヤが同じである保証は
何もない。

勉強の面でいえば、路面にタイヤを合わせるように、
一人一人に合った伸びる方法があるはず。

確かに、高校に入るだけならば、みんな、同じことをしていればいいのかもしれない。
でも、人生はそこで終わりではない。
そのあとの人生のほうが長い。
高校に行くことは確かに前提なのだけれど、そこから先に進めなくなる
受験マシーンをつくるつもりは全くありません。

むしろ、一人一人に合わせた伸びる方法で、
自分自身がこれだけは絶対といえる武器を作ることが、
この後の何年間かの一人一人に与えられた課題であり、そのサポートを
するのが学校であり、塾なのだと考えているのです。

とは言い切るものの、人によっては学校でも塾でもないかもしれない。
ピアノだったり、サッカーかもしれない。美術かもしれない。
そんな多様性を認められる塾にしたい。
受験バカは作らない。

本日、カッティングシート貼っていただきました。
折込チラシも入りました。
ホームページも完成しつつあります。
公開はもう少し待ってください。

問い合わせは複数件いただいています。
元の塾がらみもある。これは内緒。

いよいよ、明後日開校となります。

カウントダウン…

今週末、2月1日に開校の予定です。
いよいよ1月30日には折り込みチラシが北海道新聞の朝刊に入ります。
明日はコピー機の導入。そのあと教材会社と打ち合わせです。
教室の看板は1月30日の朝、一気にすべてを集中させる形に
しました。

これまでこっそりしてきたものを一気に顕在化させます。

この1月はほんとに激動でした。
銀行にはほぼ日参。
ハローワークにも国民生活金融公庫にも札幌市の
外郭団体、教材会社。リース会社、電気工事会社、
オフィス家具の中古販売店。看板屋さん。
100均やらホーマックやら。リサイクルショップにも。

また、ありがたいことに、送別会が2回
昨日も送別会で別の用事があり、途中で抜けたのですが
教室の古いメンバーも集まってくれて、ほんとに仲間というのはいいものです。
しかし、僕は一人の力で頑張ることを選択しました。
その選択には後悔は全くありません。

とても楽しいことには、会社で勤めていた時にはない学びが
必ず1日1個はある。
浅学非才なりに、浅学が広がっていきます。
近所の新しい道を通るときも、自分で新聞販売所に折り込みを
運び込むときも。
一本の電話をとるときも。

もう一つの気づきは
一人で頑張ることは選択したものの
一人で成し遂げたことは何一つないのです。
様々なサポート、小はほっかほっか亭でのり弁当のソースを
1個余計にサービスしてもらえたことから、
大は銀行でお金を貸してもらえること、
物件を家族の協力で借りられるようになったこと。

感謝だなと思います。
その助けに支えられて、カウントダウンにこぎつけました。
僕の売りは傲岸不遜ですが、ちょっとだけ感謝の心は
でているかも。
みなさん、ありがとうございます。
あと、4日(今日を含め)でスタートできます。

そして、袂は別ったとしても仲間や生徒のみんなは心の支えです。
ありがとう。

あれもこれもの雑事がぼくをせめますが、
思いついたときに書いておかないと、書けなくなるもんで。。。

塾のあり方。

教室はほぼ机、いすも入り、完成しました。
ところがホワイトボードが不良品。
月曜日までにいけるかが不透明な状態になっています。

僕の業界の先輩方は塾という仕組みについて社会的な認知を
取り付けるために努力して来られたと思います。
それが家内手工業的なものから企業への脱皮であったと
思うのです。

これは多分に私的な見解なのですが、あまり外れてもいないかな
とは思っています。
また、企業にして事業の継承性・安定性を高めることは
必要なことだと僕自身考えています。

なぜならば、地域の子供たちの教育に貢献するためには安定的でなければ
また、持続できるものでなければならない。

しかし、今の時代に株式を公開あるいは上場することは必要なのか?
は塾の正社員になって以降、ずっと考え続けていたことなのです。
社会的な認知を必要とするならば、公開も上場も必要ではないかと思います。
安定的な会社として宣伝効果さえあるかもしれない。

しかし、公開して株主が多く登場することになるにつれて、非常勤講師や
生徒以外に向き合うものが多くなってしまう。
僕などのような下っ端のペーペーでもそれはある。
敵対的な買収をかけられたならば、その塾の根源性(オリジナリティ)は喪失される
可能性もある。
上場企業の社員でありながらこれはよくないのかもしれませんが、株式公開と学習塾というのは
ミスマッチのような気がします。

いろいろな考え方はありますし、僕が企業家として正解であるとは思わない。
だから、個人的な見解です。

もしも、僕の塾で株主になってほしい人がいるとしたら、それは生徒・保護者・塾生のOBです。
将来的にはそんな仕組みも考えてみたいなと思っています。
まあ妄想ですけどね。

独立について

皆様

昨年の3月以来の更新になります。
可能であれば、今後は毎日更新していきたいですが。。。

とうとう、この1月末をもちまして、現在の塾(たぶん直営系としては日本で一番大きい)を
やめて、独立することにいたしました。
今はその新しい教室でこれを書いています。

会社に不満があるわけではありません。
むしろ前職よりも多くの意味で成長させてくれた会社で感謝の気持ちで
いっぱいです。よい上司(まあ、何事にも例外はあるのだけれど)にも恵まれたし。

塾人としての鍛冶を生み出したのが前職であるならば、
塾屋としてのノウハウを叩き込んだのは今の会社だと思います。

悪い思い出など何一つない(まあ、何事にも例外はあるのだけれど)
ですが、安定してノウノウとするよりも、より大きくチャレンジしたいという気持ちの方が
強かったのです。

今後、27年間塾業界に在籍しての「なぜ」を自分の塾で実践していきます。

突然のことで驚いた塾生の人も多いと思うのですが、
もう十分自走できるレベルにみんなはなっていると思います。
これまで、教えたことを実践すれば、入試なんてクリアできる。
なにも教えることはないとはいわないが、自分で学ぶことができるように
なることが一番大切なことで、
その入り口には立っている。

10月くらいには、まったく自分で勉強できなかった人も
自分で課題を見つけてできるようになっている。

すごいことじゃん。
すばらしいじゃん。
成長してる。

だから、僕はなーんも心配してないよ。

それでも不安になったら、いつでも相談には乗るからおいでなさい。

その点ではいつまでも先生ですので。。。

あーやっぱりまとまらない。