今更記述問題(中3向け)

いまさらながら、
中3生に国語の記述問題を指導しています。
記述問題が苦手な生徒でも北海道の問題ならば、何とかなる可能性がある。

どちらかというと、私は国語や数学にあまりロマンとか
抱かない方で、高校の時の先生が「うん。このとき方は美しいね。」
とか言っていたことに対して、全く共感を覚えないたちなのでした。
ただ、パズル的な面白さのある問題は、この図形変だよね。みたいなことは
言ってみたりする。
なんとなくかっこいい気がして。。。嘘です。
基本的に将来の夢がその教科ではない限り、私は道具として
考えてしまう方なのです。
たとえば、英語にしてもそのものを研究するというよりも
この仕事をするために、道具として使いこなせないといけない。
という人が多いのではないかと考えていますので、
みんなにも「数学なんて道具なんだから、使い方覚えればいいんだよ。
だから、暗記科目なんだ。」みたいな暴言を吐いたりするわけです。

で、話はそれましたが、
記述問題が書けない場合。いくつかのパターンがあると思うのです。
まず、文章自体が読めていないこと。
続いて出題者の意図や出題の意味が汲み取れない。
そして、問題のとき方というか、答えの書き方のパターンがわかっていない。
他にも、長い文章(60字~80字=長くもないけど)が書けない。
などなど、要因は人それぞれだと思いますし、
どこが課題かによってトレーニング方法も違います。
時間があれば、出口汪さんなんかがいいのだろうけれど、
あと1週間では、少し時間が足りない気がする。

最近、見てて思うのは設問が何を問うているのか正確に
把握できないていないなという点です。
これならば、トレーニング次第で何とかなる。
この期に及んでなのだが、理由を聞かれているのか、説明するのか
把握できていないケースがあるので、書き始める前に
何を求められているか考えてみてください。
そのくらいの余裕はあるはず。
最初の科目ということもあるので、タイムコントロールは重要だけど、
多くの問題な場合、答えを探すのに時間がかかるように
出来ていない。むしろつなぎ合わせる作業に時間がかかっている子が
多い様子です。

立命館の問題なんかは傍線部から離れた場所に答えの糸口が
おかれているケースが多いけど、公立の場合は直近のケースが多いから
むろん例外はあるのだけれど。
それを解答に合わせて最適化していく作業は、練習さえすれば何とかなる。
書けないからであきらめない。
逆にかけるだけでは頼りないよ。

北海道は公立の高校入試(一般)に作文がないから、授業自体として
作文も少ない。書くということ自体を苦手にしている子は多いはずだから、
短期間でもどれほど練習積むかが重要だと思う。
苦手にしていてもスラスラ本番ではかけたという子も多いから、
とにかく練習を積むこと。
たとえ、1週間でも状況は変わるよ。
がんばれ。

頑張ったのはだれ?

よく広告に絶対成績を上げます。とか
塾で指導した成果でこれだけの実績が出ています。とか

あるのですが、どうも私的には納得のいかない部分が多いのです。
多分、今教えている子の何人かは地域のトップ校に合格するのですが、
でも、それは私ががんばったわけではない。

ああ、手を抜いているというわけではないですよ。
確かに指導もしたし、サポートもした。でも、本気になって、
戦ったのは生徒たちなのだし、賞賛されるべきは、生徒たちであって
塾じゃないのじゃないかなと思うのです。
成績を上げる主体は生徒たちです。
絶対あげるってどれほど先生たちが優秀なのだろうと思うのです。
まあ、気持ち的にってことで。というならば、それはこの仕事に
携わる人すべてが持っているはず。

昔は私も俺が教えたから上がったのだとか傲慢にも考えていたし、
一部は正解だと思う。
しかし、この仕事の中で
主役は常に生徒たちであるわけで、塾の先生はわき役にすぎません。
本人たちにやってもらえなければ、受験さえままならない。
だから、本人たちを頑張らせる方向付けが
一番重要なのではないかと考えます。

そのためには、内容をテストや入試に合わせて絞り込んで、
覚えやすいテクニックを編み出して、とか。

でも、それは生徒にとっても私にとっても最終目標でもなんでもなく、
本人たちが自分で走れるようにするための方向付けの方法でしかない
と思う。
という意味では一番の売りにしたいのはその部分だし、
高校大学に行ってさらに成長することが
なりたい自分になることが目標なのだから。

塾が優れているから、あるいは私が優れているから君たちは
合格するんじゃない。
君たち自身が努力したから、優秀だから合格するんだ。

でも、不合格になったらそれは塾の力が不十分。いろいろな意味で。
不十分だったのだとおもう。
塾の主宰である私がこんなこと言っちゃいけないかもしれないが。

まあ、完全に君らに責任がないわけではないのだけれど、
不合格という点で、これからのどう生きるかに
変更を余儀なくされる点で人生に責任を負うのだから。
それ以上、責められることはないと思うのです。