今日は中学の卒業式ですね。
小さいながらにそれぞれにドラマが
あるはずですね。
13日の金曜日で卒業というのも、
ある意味、学習指導要領の改革の一番大きな
影響を受けた学年として、趣深いものが
あるかもしれません。
ジェイソンのように猛威をふるっていましたものね。
うちの息子も今日は卒業式なのですが、
僕はどうも卒業式とかの式典が苦手で行きません。
これは入学式も卒業式もどの子供も
行っていないように思います。
この後も多分いかないと思うのです。
なんせ、バランスとらなきゃいけないし、
そういったものに父は出ないというのが我が家における
社会通念のようなものになっています。
卒業式であるにもかかわらず、高校進学に
向けて授業はあります。
何人来るかわからないけれど。
高校行っても困らないようにしてあげて送り出すというのが
責任だと思うので。
といいながら、うちの息子は高校に行かないと
心に決めているようです。
この2学期から3学期にかけて、当家では、
将来の進路について討論が行われました。
「いや、別に大学行くのに勉強したくないんだよね。」
一日に5時間、多い日で12時間勉強している姉を見て
息子は言います。
「将来、大学に行かなきゃなれない仕事につく気ないし。」
そこで、保護者は考え、いいます。
この段階で保護者はキレていません。
「勉強する気ないなら、高校行かななくてもいいよ。
勉強するために行くんだから。高校は。」
「わかったー。でも、就職もできないしなあ」
子供が将来食うのに困らないようにお膳立てしてあげるのは、
親としての責任。そこで、父はある提案をします。
「でも、将来食っていくのになんかそれなりのことは
できるようになっておかないといけないよね。」
「じゃあ、小樽行くか?海上技術。高校じゃないけど資格取れるし。
自分が生きてくための技術ならば勉強するにはなるんだろう。」
「それは、なる」
決定です。
中卒の船長に彼はなるそうです。海賊王を目指すかもしれません。
体固いけど。
まあ、どこまで本気かわからないし、
まあ、僕の母方は大体が船舶・水産関係が多いのではありますが、
船に対する強さ、弱さは人それぞれだから。
不安はありますがね。
翻って
学習塾は高校入れてなんぼの世界ですが、
それは学習塾という企業体としてであり、
本来的にはその子が将来生きるための力をつけてあげることこそが
大人として、そして塾としての立ち位置ではないかと思います。
その上で高校など大学など一つの選択肢でしかない。
大学に進まなければ、なれない仕事を目指すのであれば
進学することは当然です。必須です。
高校大学を出たから立派な人になっていくのではなく、
自分で求めているからこそ立派な人になれるのです。
息子はそこそこの高校(札幌レベルで)は受けますが
合格してもいかないでしょう。
合格してもそれをけって海上技術に行くのがかっこいい
と思っているようです。
現代の受験社会から見れば、学歴社会から見れば明らかに
落伍者親子なのですがね。可能性は限定されるし。
高校・大学に行くことは自分の可能性を広げることで
大正義ではあります。
しかし、広がった可能性は自分で形に変えていかないと
可能性のまま終わってしまう。なりたい自分になることなど
できないのです。
今年の中3はみな高校でこうして、大学ではこうなる
あるいは就職してこうするのようなイメージを
全員が持てているような気がします。
その点では、受験結果出ていないけれど、うまくいったなあ
とここは自画自賛しています。
長かったね。ごめんなさい。
春期講習kじゃんじゃん来てくださいね。
小学生は無料です。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール
「新高1生として。PAT共育ゼミナール。」への1件のフィードバック
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カウンセラーやっている、ゆうりという者です (*^ー^)ノ色々な記事を見て回っていたら、たどり着きました!(o*゜∇゜)o~♪また、ふらっとやって来ますね♪ ( ̄▽+ ̄*)