「このままの業績だと、来年はこの部署なくすぞ。
お前らがんばれ。」
「もっとこうしたらどうだろう。そうすると業績も
改善するから。部署全体の可能性も広がるよね。」
どちらがやる気が出ますか?
正直わかりません。
危機感をあおった方が、脅した方が動く人間もあれば、
動かなくなる人もいるから。
私は企業的学習塾において両方を経験してきました。
もしも人においてその歴史が現在を決めているとしたならば、
前者は「このままでは高校(大学)に落ちる。」を
生徒に言い続けて来た方ではないのかな。
指導の方向性やスタイル自体が脅迫的なもの
高圧的なものではなかったかと邪推します。
後者は「こうすれば受かるよ」を繰り返し言いつ続ける
人ではないかと考えます。
どちらがいいかはわかりません。
ただ、前者は古い。化石化している。あきらかな先生病だと思う。
昔ならば100%動いた手法も今では陳腐化している。
しかし、どちらも同じくらい成功も失敗もすると思う。
一律的にそういった場合。
これはダブルスタンダードといわれる内容かもしれないが、
集団の際には前者を。個別の懇談などの際には後者を
使い分ける。生徒の性格や置かれた状況に応じて、配分を加減して。
以前、ある塾をやめて、うちに(といっても古巣に)来た生徒は
その塾で○○高校を受けたい。
といったら鼻で笑われ、「無理無理。1ランク下げろ。」
といわれたそうです。
確かに厳しいかもしれない。確実とは言えない成績でした。
でも、本人が目標としているところならば、受かる方法を
何とか考えてあげるのが塾じゃないのかな。
結果として私も受からせてあげることはできなかったので
何も言いようがないけれど。受からせたらかっこいいけどね。
潰れる潰れる。落ちる落ちる。と言い続けられたところで
なんも生み出さんと私は思います。
余計、精神的に不安定になるだけだ。
みんなと一緒に夢を追い続けるのが塾であるならば、
一緒に考えましょうよ。突破する方法を。
受験に比べたら、企業の論理は厳しいかもしれないけど、
生徒と一緒に夢を語ることが仕事なんでしょうが。
だとしたら、教室は夢のゆりかご、箱舟。なんでもいいけど。
そんな存在にこの教室がなれるように、
知恵も体力も絞りたいと思うのです。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール