昨日、アクセスは250を超えました。
みなさまありがとうございます。
今週はトータルで2000をこえるかな。
国道230号線を挟んで向かいにある山鼻小学校の桜の木は
校舎側は良く開いていますが、それ以外はビルの陰になる時間が
長いせいか今一つ開きが悪いように思います。
小6の社会なのですが、今日から奈良時代に入りました。
奈良時代を40分なので、そこそこ余裕はあります。
平安時代は2回に分けることになるでしょう。
先週、律令制度については学習しています。
中学受験においても、それから、中学校の定期テストにおいても
出題が多い部分なのでしっかり覚えてもらおうと思います。
いろいろ
聞いてみると最近は歴史が嫌いな子が増えてきているように思います。
一つには、歴史的な事実の羅列であること。
もう一つは最近まで小学校では人物に焦点をあてた指導を行って
いることが原因かなと考えています。
歴史など歴史的事実の羅列だろ
暗記だろと思われます。確かにその通りなのですが、
そのままでは生徒にとって、ただ覚えなければならない
試験のためだけの科目になってしまいます。
道具であることは確かなのですが、それは苦痛ではないですかね。
その状態で海外にわたると、ひょっとしたら、
日本から来たくせに自国の歴史も知らんのか?
になるような気がします。
そこでは教員なりの史観や感想が必要だと思うのです。
ここは先生こう思うんだ。みんなはどう思う。
それは歴史を善悪の二元論にしてしまう危険性は
あるものの、人間としての感性が歴史に吹き込まれる
可能性を感じます。
教科書にそれを求めるの現状難しいと思うのですが、
あまりにも個人の感情を排除する方向に動いているので。
読んでいてもつまらない。
それと、人物重視はゆとり教育の中で生まれてきた気がします。
うろ覚えながら。。。
多分、発想としては、歴史に興味を持たせようということで
あながち間違いではないような気もするのですが、
流れがつかめなくなって、中学校に入っているケースが
目立つのです。
たとえば、平安時代の次は何時代?に答えられないような
状態で中学校に進んでしまっているケースもあります。
人物というのは家でたとえれば建材や家具のような存在で
「流れ」という家としての骨組が、あればこそのものだと思います。
そこが立派な家であるからこそ、壁のきれいさや家具の存在感が
際立つのではないかと。
また、原因―経過―結果をクリアにしないことも
問題になってしまっている原因かと。
たとえば、幕末、尊王攘夷だった長州がいつの間にか
薩摩と手を結び、尊王討幕へと変わっている。
原因と考えられている下関事件の取り扱いは小さく、
いきなり明治新政府が出来ていて、イギリスと仲良くしている。
子供だから、難しいからと言って、そこを端折ってしまう
のは、歴史は暗記科目だから苦痛だという生徒を
生む原因になるような気がします。
その点をちょっと気を付けながらうちは進んでるつもりです。
あと、僕自身としては日本史が好きな先生に社会の
授業をさせない傾向が強いですね。
地理がおろそかになるケースが
今までの経験上多かったことと、
先生自体が歴史が面白いものだという
先入観で授業をしてしまうため、
生徒の熱とズレが生じやすいのです。
高校の日本史ならばいいのですがね。
生徒は面白くない前提で授業に臨んでいる子が50%以上
とすれば、「あのー。それのどこがおもしろいんですか?」
となってしまうことも、僕の経験を含めてままある。
だから、身近な題材などに話を膨らませられる方に
お任せする場合が多いです。
まあ、今は僕自身でやっているので。。。
関係ないのですが。
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール