HP開設

緊急速報的に、ご報告します。

ホームページを開設しました。

① まだ検索とかには引っかからない。
② BBSが使えない。=鍛冶が使い方わかんない。
③ 今、メールを送ってもらっても今のところ月曜日にしか確認できない。

という状況ではありますが、この間から、PAT共育ゼミナールで
検索しても引っかからないとクレームをいただいていたところなので
とりあえず、下のアドレスで移動をお願いします。

http://www.pat-kyouiku.com

まだ、情報量的に少なくて、恐縮ですが、HPは入り口。

中身は鍛冶です。

中間ゲートは合格。

出口はなりたい自分。

中3生は2月3月他の塾とも併用OK、初期登録3000円のみでOKです。

途中で投げ出したちゃった感があるような気もするので、
最後まで1か月間めんどうみますよ。

開校初日

開校初日!!

お花をいっぱい届けていただきました。
みなさんありがとうございます。
中でも一番大きかったのは、SRJ=速読協会からのもの。
多分、5トンくらいの重さはあったと思います。

お問い合わせの電話がかかってくるかと待っているのですが、
お花屋さんから1件。
間違い電話が1件。
まあ、はじめのうちはこんなものかと。。。

とはいえ、授業がないかというと既に1名、本日来ます。
問い合わせも徐々にいただいており、形にはなりつつあります。

昨日をもって、会社員ではなくなってしまったので、より自由に
発想していくことが可能です。
思いついたら、余計な手続きを飛ばして即実行できる。
その分チェック機構がないのでリスクは高いけど。でも、したかったことは
身軽に動いて100%生徒のためになることができること。
なので、行動のスピードとリスクをはかりにかけて、
私はスピードを重視したいと思います。

速読しかりだし、(6月くらいからのスタートを予定しています)
そのほか考え、アイディアだけはいくらでも浮かんでくる。

面白いことを気兼ねなしにやりまくります。

カウントダウン3

僕が独立して塾を作ろうと思った
というか決意したのは、塾の教員でありながら、
子供たちの勉強を見てやれていないという現実からです。

うちには中3を筆頭に5人子供がいるのですが、
勉強を見るくらいしか、親としてできることないのに、
それさえしていない現実。
十分に親としての義務を果たしていないと感じていました。

娘の友達を呼んで勉強会みたいなことをしていたりするのですが
それでも限界はある。
現状の仕事との絡みもあり、難しい。

だったら自分で作ってしまえー的な。
だから、中3の娘の勉強が佳境に入る8月後半を
目指していたんだけれども、直前の時期になってしまった。

私自身が5教科すべてを教えるというのは、その辺の部分があります。
親は子供の勉強を見るとき、数学はいいよ。英語はだめだよ。って
言えないと思うんですわ。なんでもお構いなしに子供は持ってくるし、
子供の苦手もそれぞれ違う。

あくまでも、子供たちの親としての発想で、塾は作っていこうと考えています。
だから、中学・高校・大学入れるだけじゃない。
それは多分に大きな目標なのですが、
生きるための道具を手に入れさせてあげたい。
親として考えるから、必要なことができなければ、必要であることには
常に妥協を許さず、厳しく接したいのです。

PATにはいろいろな含みを持ったせていますが、
「先生の領域に入っている親」という意味を持たせています。
だから、Tがはじめではなく、Pがはじめなのです。

明日から開業ですが、とりあえずは開店休業かな。
はじめのうちは、それもよし。

もともとたくさんのお客さんを預かる仕組みではないので…。

カウントダウン2

今年は雪道でまだスピンをしていません。
自分本体は2回こけたけど。。。

では、なぜスピンしなくなったのでしょうか。

答えは簡単でタイヤを変えたからです。
スタッドレスタイヤの進歩は目覚ましいものがあります。

勉強なども同じことが言えて、武器を変えるだけで
成果が驚くほど上がることがあります。
考えれば、速く走りたいときのタイヤと早く止まりたいときの
タイヤ、長持ちするタイヤと早く曲がれるタイヤが同じである保証は
何もない。

勉強の面でいえば、路面にタイヤを合わせるように、
一人一人に合った伸びる方法があるはず。

確かに、高校に入るだけならば、みんな、同じことをしていればいいのかもしれない。
でも、人生はそこで終わりではない。
そのあとの人生のほうが長い。
高校に行くことは確かに前提なのだけれど、そこから先に進めなくなる
受験マシーンをつくるつもりは全くありません。

むしろ、一人一人に合わせた伸びる方法で、
自分自身がこれだけは絶対といえる武器を作ることが、
この後の何年間かの一人一人に与えられた課題であり、そのサポートを
するのが学校であり、塾なのだと考えているのです。

とは言い切るものの、人によっては学校でも塾でもないかもしれない。
ピアノだったり、サッカーかもしれない。美術かもしれない。
そんな多様性を認められる塾にしたい。
受験バカは作らない。

本日、カッティングシート貼っていただきました。
折込チラシも入りました。
ホームページも完成しつつあります。
公開はもう少し待ってください。

問い合わせは複数件いただいています。
元の塾がらみもある。これは内緒。

いよいよ、明後日開校となります。

カウントダウン…

今週末、2月1日に開校の予定です。
いよいよ1月30日には折り込みチラシが北海道新聞の朝刊に入ります。
明日はコピー機の導入。そのあと教材会社と打ち合わせです。
教室の看板は1月30日の朝、一気にすべてを集中させる形に
しました。

これまでこっそりしてきたものを一気に顕在化させます。

この1月はほんとに激動でした。
銀行にはほぼ日参。
ハローワークにも国民生活金融公庫にも札幌市の
外郭団体、教材会社。リース会社、電気工事会社、
オフィス家具の中古販売店。看板屋さん。
100均やらホーマックやら。リサイクルショップにも。

また、ありがたいことに、送別会が2回
昨日も送別会で別の用事があり、途中で抜けたのですが
教室の古いメンバーも集まってくれて、ほんとに仲間というのはいいものです。
しかし、僕は一人の力で頑張ることを選択しました。
その選択には後悔は全くありません。

とても楽しいことには、会社で勤めていた時にはない学びが
必ず1日1個はある。
浅学非才なりに、浅学が広がっていきます。
近所の新しい道を通るときも、自分で新聞販売所に折り込みを
運び込むときも。
一本の電話をとるときも。

もう一つの気づきは
一人で頑張ることは選択したものの
一人で成し遂げたことは何一つないのです。
様々なサポート、小はほっかほっか亭でのり弁当のソースを
1個余計にサービスしてもらえたことから、
大は銀行でお金を貸してもらえること、
物件を家族の協力で借りられるようになったこと。

感謝だなと思います。
その助けに支えられて、カウントダウンにこぎつけました。
僕の売りは傲岸不遜ですが、ちょっとだけ感謝の心は
でているかも。
みなさん、ありがとうございます。
あと、4日(今日を含め)でスタートできます。

そして、袂は別ったとしても仲間や生徒のみんなは心の支えです。
ありがとう。

あれもこれもの雑事がぼくをせめますが、
思いついたときに書いておかないと、書けなくなるもんで。。。

塾のあり方。

教室はほぼ机、いすも入り、完成しました。
ところがホワイトボードが不良品。
月曜日までにいけるかが不透明な状態になっています。

僕の業界の先輩方は塾という仕組みについて社会的な認知を
取り付けるために努力して来られたと思います。
それが家内手工業的なものから企業への脱皮であったと
思うのです。

これは多分に私的な見解なのですが、あまり外れてもいないかな
とは思っています。
また、企業にして事業の継承性・安定性を高めることは
必要なことだと僕自身考えています。

なぜならば、地域の子供たちの教育に貢献するためには安定的でなければ
また、持続できるものでなければならない。

しかし、今の時代に株式を公開あるいは上場することは必要なのか?
は塾の正社員になって以降、ずっと考え続けていたことなのです。
社会的な認知を必要とするならば、公開も上場も必要ではないかと思います。
安定的な会社として宣伝効果さえあるかもしれない。

しかし、公開して株主が多く登場することになるにつれて、非常勤講師や
生徒以外に向き合うものが多くなってしまう。
僕などのような下っ端のペーペーでもそれはある。
敵対的な買収をかけられたならば、その塾の根源性(オリジナリティ)は喪失される
可能性もある。
上場企業の社員でありながらこれはよくないのかもしれませんが、株式公開と学習塾というのは
ミスマッチのような気がします。

いろいろな考え方はありますし、僕が企業家として正解であるとは思わない。
だから、個人的な見解です。

もしも、僕の塾で株主になってほしい人がいるとしたら、それは生徒・保護者・塾生のOBです。
将来的にはそんな仕組みも考えてみたいなと思っています。
まあ妄想ですけどね。

独立について

皆様

昨年の3月以来の更新になります。
可能であれば、今後は毎日更新していきたいですが。。。

とうとう、この1月末をもちまして、現在の塾(たぶん直営系としては日本で一番大きい)を
やめて、独立することにいたしました。
今はその新しい教室でこれを書いています。

会社に不満があるわけではありません。
むしろ前職よりも多くの意味で成長させてくれた会社で感謝の気持ちで
いっぱいです。よい上司(まあ、何事にも例外はあるのだけれど)にも恵まれたし。

塾人としての鍛冶を生み出したのが前職であるならば、
塾屋としてのノウハウを叩き込んだのは今の会社だと思います。

悪い思い出など何一つない(まあ、何事にも例外はあるのだけれど)
ですが、安定してノウノウとするよりも、より大きくチャレンジしたいという気持ちの方が
強かったのです。

今後、27年間塾業界に在籍しての「なぜ」を自分の塾で実践していきます。

突然のことで驚いた塾生の人も多いと思うのですが、
もう十分自走できるレベルにみんなはなっていると思います。
これまで、教えたことを実践すれば、入試なんてクリアできる。
なにも教えることはないとはいわないが、自分で学ぶことができるように
なることが一番大切なことで、
その入り口には立っている。

10月くらいには、まったく自分で勉強できなかった人も
自分で課題を見つけてできるようになっている。

すごいことじゃん。
すばらしいじゃん。
成長してる。

だから、僕はなーんも心配してないよ。

それでも不安になったら、いつでも相談には乗るからおいでなさい。

その点ではいつまでも先生ですので。。。

あーやっぱりまとまらない。

入塾金の意味

各塾の広告を見ていると
入塾金というのをとるようです。
果たして、その根拠はなんなのでしょう?
事務手数料?
だとしたら、コンピューター入力のために、どれだけの人件費がかかっているの?
アウトソーシングすべきでしょう。
会員資格?
どれだけ高級なものなのでしょうか。
教材ならば、教材費でいただくわけですし、
何か納得のいく根拠が得られないなあと思います。
それぞれの塾さんの考えもあるのですが、何かきちんと理由付けが出来ないお金は頂戴できないし、
そんな時代でもないと思うのです。
ただになります。だから、いいでしょ。
という問題でもないと思います。
根拠がどこにあるのかという問題だし、
それじゃ、あらかじめ値札を高く張っているのといっしょでしょう。
割引率を大きくみせることで行政処分を受けたスーパーがどっかにあったような。それと、同じではないかな?
根拠がとか、いい始めたら学校の入学金だっ同様の気もしますが。
僕とこは入塾金なしなので余計に考えてしまう。
不思議です。納得してご納入いただいているにしても。払うことが普通であることは払う理由にならないと思うのです。
Android携帯からの投稿

入試結果。。。

今年の中3は例年通り、
約半数が地域のトップ5校までに合格しました。
合格おめでとう。

しかし、全員合格というのはむずかしい。
何名かの不合格者を出してしまいました。

残念だった。よく頑張った。そんな言葉では足りないよね。
あまり意味もない。
ただ、そのみんなの入試までのプロセスは胸を張っていい
と思います。

ただ、冷たいかもしれないが、その不合格という事実は、
ほかの誰でもなく、
自分で受け止めなければなりません。
ほかの誰にも責任転嫁はできないのです。
手助けはできるけど、
ほかならぬ自分の力でその事実を乗り越えるしかないのです。
何かが足りないから不合格になった。
それは努力かもしれないし、気持ちかもしれない。
でも、それは過去のこと。
心の傷になったかもしれない。
でも、強い気持ちで乗り越えて欲しい。

人生に無駄などない。この失敗は次に必ず生きる。
強さにつながる。
失敗するかもしれないと思ってチャレンジした子は
いないはず。
そのチャレンジは賞賛を与えられるべきだと僕は思う。

リスクはどんな時にも必ずある。失敗のリスクだけを考えて
チャレンジしないことのほうが後々後悔が残る。

今回、不合格になった子は受験したことに後悔だけはしていない
胸を張って、塾に来て、泣いた子もあった。
せんせい、ごめんね。と言った子もあった。

ぜんぜんごめんねじゃないよ。

誰も誰に対しても謝る必要なんてない。
これから、大きく壁を乗り越えていくのだから、
これから、強く失敗を乗り越えていくのだから、

顔を上げてください。

ただ、ちょっとだけ手助けはしていくからね。
それが、みんなを引っ張ってきた僕のやり方です。
やり方を変えはしないから。


入試はゴールじゃない

公立高校の発表も終わり、
喜びの声、喜びの声。
でも、僕は入試の終了というのはゴールではないと
思っています。

生徒たちが、受験勉強をした期間は1年くらい。
だから、残りの人生の方がはるかに長い。
これから起伏にとんだ人生を生徒の皆さんは送ることになります。

やはり、僕の中の基準としては、入試をゴールに決めさせたら
自分の仕事として負けだなと考えています。
その結果が、良いものであれ悪いものであれ、それがゴールならば、
その子の人生はそこで止まってしまう。
生徒の人生をサポートする立場のものとして、
そこで人生を止めてしまうのは仕事の失敗を意味する。と考えるのです。

スポーツなどと違い
成長や人生というののゴールは自分で決めるものだと僕は考えます。
だから、大学合格が、高校合格が、中学合格がゴールなんだと
自分で考えてしまえば、その瞬間にゴールです。
そこが最終到達点ならば、そこから先の人生って残りカスなの?
もっと人生って尊いものだと思うのです。
高校合格がゴールになる子もいれば、大学合格をそれに定めたり、
就職だったり、結婚?
僕はそれってなりたい自分になるための手段にすぎ無いと思うのです。
だから、顔を上げて前を向いて欲しい。

合格おめでとう!!
でも新しい人生の始まりに過ぎない。
不合格は残念だった!!
でもそれも新しい人生の始まりなのです。

通塾期間が長いと立て直しに時間がかかるなどと言いますが、
決して全てに当てはまる事例ではないと僕は思います。

むしろ、合格を目標に競走馬のように走らされてきているケース
全てを塾のお膳立て通り、これをしたら合格する。
絶対ヤレ!とレールを引かれてしまっているケースのほうが、
立て直しに時間が、、、半年から1年かかる気がします。
受験勉強を試行錯誤しながら、すすめた子の方が、合格不合格に
関わらず次の目標に向かって、手探りであったとしても
前に進める気がします。
統計的に測れるものではないので、感覚的であるのが、申し訳ないのですが

開放感を味わうのは悪いことではないし、次の目標に向かって
充電期間も必要なのですが、
2週間程度に留めて走り始めて欲しいなと思うのです。

勉強だけが重要なことではないのですが。。。