春期講習2日目 状況終了。

2日目の授業が終了しました。

小5と中3.
小5は9:00から12:50。算数と理科をほぼしゃべりとおしです。
せっかく来てもらっているのにあんまり問題演習をしたくない。
家でもできることは塾でやらない。
家でできなかったら塾でする。

中3は14:00~20:30。
こちらも結構しゃべりっぱなし。5教科+数学。
すべてホワイトボードを用いての講義形式です。

考えたら9時間くらい授業している。

個人事業主なので基本関係ないのです。

やりたいだけ働く。
会社であると担当教科とか、労働基準とか難しい問題が
いっぱいあるけれども、私は私のしたいだけ自分で授業を
するのです。
授業の質や内容について、自分より上手ではない人
力のない人にしてもらうのはお客さんに対して不誠実だと
考えてしまいます。
そのジレンマをうち破ったところに現在の当塾の姿がある。

まだまだお客さんの席には余裕があります。
絶賛募集中です。

詳細はhttp://www.pat-kyouiku.com
のフォームからお願いします。
近日更新予定です。
新学期授業に合わせて。。。

今回は完全に宣伝だ。

春期講習本日から

本日から春期講習なのであります。
修了式があるのですが、

うちの塾は3月・4月・7月・8月・12月・1月どの月も
通常授業が4回あるので、本日を逃してしまうと月曜日の
夏期講習分が足りなくなるのです。

日程的には厳しいのですが、
各講習期間があるから、授業が3回になったり、するのは
おかしいと思うし、月ごとに受講料取っているのだから。。。
年間契約で月割りにしてますなんて苦しい言い訳してたけど、
年の途中でやめる子が不利になる。

つまり、3月に入って4月にやめる子は6回の受講で受講料は2か月分。
5月に入って6月にやめる子は8回の受講で受講料は2か月分。
3月、4月の受講料はずいぶんと高いですね。
うちは回数わりにもできないけど、月に4回は必ずやる。
それが残念ながらうちが示せる最大限の良心かなと思っています。

あと、講習会があるから通常授業ありませんというのは、
講習会だけ受けるつもりの人にはいいけど、通常通ってくれている
人には少し申し訳ない気がして、
前も書いたけれどあくまでもメインは通常の授業なわけで、
オプションのレギュラー化はあくまでも企業目線だと思うのです。
選択権はユーザーにあるべきだ。
だから、通常お休みして講習会のみでもいいし、
講習会は受けずにレギュラーの授業だけもあり。
時間割的に厳しいというのは先生が掛け持ちする塾には
あるのかもしれませんが、時間割を組んでみたら何とかなる。
長年塾に勤めてきての疑問点が上記2点もそう。

やってみないで不可能ということなんかできない。
実際にできてるし。

けど、結果、
通常授業終了後、講習会授業とか。
だから、中3なんかは14時から21時まで拘束とか。

でも今やらないと、中3生の全域をうまくカバーすることなんてできません。
皆さん、頑張りましょう。

北海道公立高校入試結果。。。②不合格になっても

不合格になったみなさん。

入試お疲れ様でした。
今は混乱しているかもしれない。それとも少し落ち着いたでしょうか。
今回の結果は努力が報われなかった。

私自身も皆さんも皆さんのご家族も残念だと思います。
高校に受からせてあげられなかったことで、少し責任を
感じています。

しかし、皆さんが高校に向けて頑張った、その努力というのは
幻だったのでしょうか?
全く、努力しなかったのでしょうか?
私は違うと思います。
みんな頑張った。それは良く分かっています。
この入試を通じて努力したことが
これから生きていくうえでより重要なことだと思うのです。
落ちてしまったら無駄な努力だったと考えないでください。
この入試を通じて皆さんは「目標にむかって努力する」と
いうことを学んだはずです。

結果は残念だったかもしれない。
でも皆さんの80年の人生の中で考えれば、一瞬の出来事
なのです。

その出来事と引き換えに一生役立つ習慣は手に
入れられたと思います。
チャンスは何度でもある。次は大学入試ですし、
なりたい自分になること。どこかで必ずリベンジの機会は
訪れます。その時には今の苦しみや悲しみ、痛みは
小さなものになるはずです。
そして付け加えれば、
この悲しみは決して最後ではないし、もっと大きい痛みがきっと
この後待ち受けています。そして、合格なんかに比べようもない
喜びもあるはずです。それを見つけるのは自分自身。
自分でしか見つけられません。

だから、もううつむかないで前を見ていきましょう。
どうせ自分なんかという自己評価は捨てること。
多大な損失です。

人は勝利から学ぶものは少なく、敗北から学ぶことが
より多い動物です。
このラップタイムが思うようにいかないことで
より大きい成長の機会を皆さんは得られました。
もうみなさんは、敗者ではありません。
明日の勝者です。

すべり止めといわれる学校に行って失敗するのは
公立に合格ししてるはずだったとか、
来るはずじゃなかったと
過去に束縛されるケースがほとんどです。

それはすべて否定してください。
皆さんは選ばれてその進学先に行くのです。
そこでどのように自分へのプラスを生み出していくかだけを
考えてほしいなと思います。
後悔などプラスを生み出しませんよ。

迷ったらいつでも相談に乗るし、声をかけなさい。
この部分は命令形です。

北海道公立高校入試結果。。。①

いやあ、さすがに更新を入れないと
見ていただける方も減るようで。。。

しかし、月曜の発表から後が忙しい。
合否結果の確認とかではなく。不合格からの。。。
私は正直、常に、今までずっと合格した子には冷淡です。
それは自分の娘を含めて。
合格した子なんてどうでもいいのです。少々乱暴。

むろん、賞賛はしますが、生徒の努力の結果の実績
であって、生徒を募集するためではない。
合格実績が塾の通知表だとも思わない。
実績は公表しますが、塾の実力だと思わないし、
合格をとるために努力させられたことが
うちの実力だと思っています。

むしろ重要なのは受験の結果で終わらせないことなのです。
合格した子は今聞く耳がありません。だから、4月までかけて、
じっくりと刷り込む。
不合格で落ち込んでしまう子の方が私はより気になる。
残酷だけれど、合格した子も不合格の子も同じ教室で
勉強させます。
初めにラップタイムでしかないことを話しして。

入試は落ちる、受かるが必ずあります。
でも、そのことはある意味一瞬でしかなくて、
落ちたことにも必ず何か人生における意味が
あると思うのです。
合格しても、不合格になっても、それで何かの自由を
得られるわけではないし、
不合格の中から、強さを学び取って
ほしいと思っています。

いろいろな経験を積んで強くなり、なりたい自分への
道筋を得られるはずです。

この敗北でうつむいてしまうことこそが人生の損失のはず。
私はそんな生徒さんに育てていきたくはないと考えます。

人生の目的は何か=食べること。

私の小さい頃の夢はコックさんになることでした。
今でも料理を作るのが好きです。
休みの日は昼・夜ともに家族の分は私が担当します。

中学・高校・大学と通うにつれて、ちょっとずつ道は
それていきましたが、今でも好きなのは化学反応を楽しめる
ところかな。洗濯に比べると反応が複雑だし。

まあ、おいしいといってくれると嬉しくなります。

メインはそこではなくて、

うちには4人娘がいるのですが、
長女は頑固で嫌いなものを食べるくらいならば、
飢え死にした方がマシと幼稚園から決意しています。
そのため虐待を疑われるくらいに幼稚園から小学校。いわば
給食の時期にダイエットに成功しています。

次女は食べることに対してあまり興味のない子で
ご飯が一番の好物で、塩味のおにぎりが好きな料理のベスト3に入ります。

三女は一番父のDNAを受け継いでいて食べることが好きで、
食材や料理に対する好奇心は人一倍。
だから食わず嫌いということがありません。

ここで比較するのは次女と三女なのですが、

次女はあきらかに生きるために食べています。
おなかもすくし、自分の寝食を忘れるものがあれば、
ご飯は文字通り忘れてしまいます。

三女は逆に食べるために生きています。
おいしい食事をすること自体が現在の彼女の生きる目的なのです。

そのための手段が運動することであったり、
働くことであったり、お手伝いをすること。(一番の働き者なのです。)

私は全く否定しません。
その目的はいつか変わるものであろうし、
変わらなったとしても、その目的に関連する仕事を
身につければよいと考えています。

もう何十年も前に、大手スーパーに就職した大学の先輩に
言われたことがあります。
「鍜冶、仕事好きか?面白いか?」
「はい。面白いですよ」
「おお。それはええな。やっぱり自分が好きで面白い
と思える仕事で食っていけるのが、俺は一番幸せやと思うぞ」

好きなことを仕事にできるのは幸せなことだと思います。
仕事を好きになることも。

子供たちの人生にかかわることは同時に将来観を
持つのに携わることでもあります。
私の仕事もそのような仕事にしていきたいと考えているのです。
それは自分の娘だから、とか塾生だからとかの区分はないな。
と感じています。

しまりのある文章ではありませんでした。すみません。

北海道の公立高校入試⑤ 

本当は理科とか国語とか書こうと思ったのですが、
少しタイムリーではなくなってきているなーとも思っています。

各社とも予想合格最低点を発表しているのですが、
これがかなり厳しい得点予想ですね。
聞いたところ、ある中学では、全員の自己採点が
その点数を下回っており、
どうも全員不合格になりそうな勢いだそうです。

あちらこちらでそんな点数取れてねー。
という声が聞こえてきます。

多分、合格定員の半分くらいしか、埋まらないのではないか
その中でも道コン事務局は3000ほどのデータを集めて、
かなり確度の高い情報を提供してくれていたのですが、
その点数と大手の塾が出している点数とに開きがあまりない。

そもそも、予想最低点など考えるのをやめたらいいと
私は思います。
このくらいあれば合格だよ。これならば不合格だよ。
現状で予想して何か意味があるのかな。
分析の結果として、このくらいになるはずだというのは
言ってもいいかもしれないけれど。

済んでしまったテストの点数をあれこれ言ってみても
始まらない。わかったからといって、答案用紙を取り戻して
書き直すことなどできはしない。

余計な不安や安堵感を持つ必要はない。
いろいろ考えるのは結果が出てからで十分。そのことから
自分を切り離してほしいし。
結果のことで悩むのは数少ない
人生の無駄のうちの一つだと思うのです。

乱暴な言い方をしてしまえば、命まで取られるわけではないのだから。

要はその前までにいかに準備しておくべきであったかということ。
受験生として。
塾として。 不合格であれば、私の準備が悪かったのだ
どこかの部分で、
君たちの準備が十分ではなかったのかもしれない。
どこかの部分で。

これから後のに続く人も同様です。
十分な準備かどうか。頑張ったかどうかが、自分ではなく
他者から判断を下されるのが入試です。

そこでは、僕なりにや私としてはなんかは通用しない。
甘い考え方を捨てていくことが大切です。
これから先、頑張ったかどうかの判断下すのは、私であり
テストです。

気合を入れなおしてくださいね。

中3生へ。去年も同じことを書いたのだけれど。。。

いよいよ明日、
北海道公立高校の受験日を迎えます。
すべての人の入試応援はその門の前まで行くことが出来ません。
そこそこ人数いるからね。

この1年とかよく頑張ってきたと思います。
なんか、去年も前日にこんなようなことを書いていたけど。。。
人それぞれに人それぞれの頑張りがあるからね。
私立が終わり、あっという間に公立高校受験。

そもそもみんなが小6や中1の時のことは
昨日のことのように思い出します。
月並みな表現だけど。

明日の朝になれば、みんなは受験校の門をくぐります。
中にはその瞬間まで後悔している人があるかもしれない。
どんな心持だろうと条件は同じです。
ただ問題を解き、得点を重ね、合格するのです。

だから、今だからこそ
自分のことを信じて欲しい。自分の努力や選択をを信じて欲しいと思います。
自ずと結果はついてきます。
ツライ受験勉強を耐えてきたのですから。
いろいろなものを少しずつ犠牲にしてきたのですから。
成果は必ず出るから。
結果は必ず良いものはずだしね。

だけど、いまから結果を想像するのはやめてほしい。
良い結果が出ない想像しても、自分の人生を悲観しても、
全く意味はありません。

これは去年も書いたのですが
皆さんは、人生という道を今走ってっている最中で、その点では僕も同じですが、
入学試験というはそのラップでしかない。ラップで区間賞をとっても、
優勝できるとは限らないし、そもそも、自分なりの幸せをゴールと考えれば、
それも一人一人様々です。ましてや出てもいない結果を悲観的に考えるなんて
全く意味のないことだと思いますよ。

一番大切なのは、その過程の中でどれほど納得がいく努力ができたかなのです。
受験というのは、結果を得ること以上にその中で成長していくという意味で
重要なのです。

受からなくてもいいという意味ではないよ。僕はみんなの合格を本当に心から
望んでいます。なぜなら、それは、みんなが心の底から望んでいることだから。
みんなの努力を知ってるつもりだしね。
ご褒美をもらっていいくらいの努力をしてきたのさ。
なりたい自分になるための近道かもしれないしさ。

この1年、なかには小4から6年間お付き合いさせてもらった人もいるよね。
僕ができたのはゆるやかにみんなの背中を押すことだけだった。
みんなは自分で走ってきたのだ。
でも、高校の門を入試のためくぐったあとはもう背中を押してあげることは出来ない。
本当に自分の足で歩かないといけない。
不安に思うことは何もない。もう、その力は十分付いている。
歩き出せ!
自分の手で自分の夢を掴みとれ!
そこにいないけど、先生たちの気持ちは君たちとずっと一緒にある。
晴れやかな笑顔で、試験を終えて出て来いよ。

そして、お家に帰ったらお父さん、お母さん、支えてくれた保護者の方に
ありがとうって言って欲しい。
誰よりもみんなのことを考えてくれているのは、おうちの人だから。

あー、でもうちの娘はきっと言わないな。
君らくらいには言ってほしいと思います。

地域一番は目指してないのです。

ついこないだまで会社勤めだったので、
よく言われたのが、地域一番店になろう。といことで、
それは明らかに正しかったと思います。

直営系生徒数全国№1の塾としては目指す方向として、
全く間違っていないのです。
出来ればシェアを100%握り、ブルーオーシャンを築く。
あるべき姿なのですが。

独立した今、私は地域一番店はほかの塾さんにお譲りしよう。
と考えています。
地域一番とは何が地域一番なのでしょうか?
人数?合格実績?人数のもととなるはずのサービス?
まあ、4月から人数が増えるにせよ、
私一人で切り盛りする塾なので。。。
多分人数としてはどれだけ学年バランスが良くても80は超えない。
実績は大量に集めて大量授業をする。塾にお任せします。
1クラス16人まで、それ以上来たら断るうちの塾には無理なのです。

しかし、来ていただいた方の満足感は100%にしたいというか
不満足な部分はなくしていきたい。

だから、地域ナンバーワンのサービスは目指さないけれど
来ていただいた方の100%満足は目指していきます。
多分、私に求められるものは多種多様で満足のツボもいろいろあると。
そのツボを押さえていくように心がけたいなと思います。

あとは私が出会った方とのつながりを大事にしていきたい。
私は心が狭く、また、誰に対しても親切な人間ではありません。
そんな自分であるからこそ、一度かかわりができた方を最優先で考えたいな
と思っています。
こんな仕事ですから、出会いは当然あるけど、それはおそらく私の
200代前の先祖の数よりは少ないと思います。

だから、一度お知り合いになれたことを大切にしたいのです。
教える内容に差がついたり、取扱いに差が出るわけではないけれど
以前在籍した塾の塾生、卒業生、私の友人の子供たちはには
また出会えてありがとうという意味で授業料はサービスするのです。
多分、正規の方から比較すると2割引きから5割引きくらいになっているかな。

現在の中3はほとんど受講料はいただいていません。
2月、3月の間は。
深くかかわりを持っていただける方ほど満足感が高まる形にしたいな
と思います。

長女のイジメから学んだこと。②

いろいろ反響がありまして、
もう少し追加で書こうかなと思う次第です。

基本的にイジメる奴が悪い。
この立場は私の基本的スタンスなのですが、

もう少し、イジメるという行為、そのものの行動の原因や
背景に焦点をあてて考えるべきではないかと思っています。

つまり、いじめをする子はなぜするのか。
生まれついてジャイアンである子は少ないのではないか。
むしろ、ジャイアンにはジャイアンになるための過程があったのではないか
と考えています。
むしろその部分を変えてもらわないと
今、イジメられている子も、今、イジメている子も不幸なままで終わるのではないか
と思います。

たとえば、いじめをした生徒は出席停止にする。とかのアイディアも出ているそうです。
正解かもしれない。対症療法としては、今暴力やハラスメントで
被害を受けている子は救われる。
しかし、出席停止の後は?構造が変化しなければ、同じことの繰り返しになる。
逆にそのことでイジメている子の学ぶ権利のことや逆にいじめに合う可能性は?

まあ、イジメられている子にしてみれば、イジメする奴に2つとも
認める必要はないと思うかもしれないけれど。

イジメは命を奪う行動だから、一定程度必要かもしれない。
ストーカーと同じで。

キーは事象としての出席停止でも命を大切にする指導でもないような気がするのです。
命が大切なのはみんな知っている。それは、「仲間」の命の大切さ。
問題は自分とは違う「差異」を抱えた人間を「仲間」として受け入れられるか
どうかにあると思うのです。
構造がそんなに単純ではないのかもしれないけれど。

△△はこの点が違う。おかしい。
○○が、こういった。生意気だ。
××が、自分の指示に従わない。むかつく。

人がそれぞれ別人格で自分の思った通りにならないものだ。
それをすり合わせるために言葉がある。
違う人の持つ差異を個性として受け入れる。
この点に対する指導が十分でなければ、
状況はいろいろ変わっても続いてしまうと思うし、イジメ→イジメられる
が登場人物を変えて続いてしまうような気がする。

ただ、この「差異」を「個性」として、あるがままのもの。
あってもいいものとして受け入れるというのは、とても難しい。
そして、教育が出来るのはそのサポートだけでしかない。
なぜなら、差異を受け入れるというのは、自分で自分の
意識の地平を広げない限りできない。

たとえば、お前らイジメ的な言動をするな。といって、
ああこんなことはこの人に対していっちゃダメなのね。
しちゃダメなのね。という

禁止事項として受け入れただけで、
その差異を本当に理解して、受け入れていることにならないだろうと
私は思うのです。

残念ながら、長女がイジメられたという経験を通じて、それは
差異を理解して受け入れましょうと流れは感じなかったのですね。

今、長女は学校で目立つことほぼしません。
それが、彼女がいじめから学んだ処世術なのかもしれない。とも思うし。
トラウマなのかもしれませんね。
親としては、イイも悪いもありません。
もっと、前出ろよとか積極的にいけよ。というのは親の望みでしかない。

根が楽天的なので、
決して、イジメの経験はマイナスばかりではないと思っています。
全く、意味のない暴力や理不尽なことが社会にはあることを
身を持って経験し、
その時には自分自身が自分を守らなければならないことを学んだと思います。
小1にはハードではあったでしょうが、
誰もが学んでおかなくてはいけないことのような気がします。
いろいろ経験してみることは絶対必要ですから。

もし、目立たないことが彼女の選択ならば、親として全力で出来うる限り、
それで不都合がないように
サポートするだけです。
もし目立たない自分が嫌だと思ったら、それを変えることに対しても
全力でサポートしますしね。

速読開講予定

本日は朝から、SRJ主催の速読の導入研修でした。
以前、速読指導の経験があるとはいえ、
ソフトも更新されているし、
ネットを使っているので、眠かったけれども行ってきました。
あさ、8:00過ぎに家を出たのですが渋滞がひどく、
10時に間に合いませんでした。

まずは中1の息子にさせたい。読書の経験は学力に大きく影響するような
気がする。統計的なデータとっているわけではないけれど。。。
本が好きで成績不振という子もありますし、逆のパターンもある。
だから、一般化はできないのですが、息子の場合は読む時間で国語の
テスト時間の大半を消費してしまっている。
それは社会でも理科でもそう。読む場所が少なく図で処理する問題は得点可能。
数学でも文章題の意味が取れていないことを感じる。

今更、趣味を読書に変更しろというのも無理な話なのだから、
単位時間で読める量を増やすしかないわけです。
とりあえず、受講第1号は決定だな。
6300円は出世払いでつけにしておいてやることにする。
親として示せる最大限の好意はそこまでだ。

冗談はおいておいたとしても、私としては高校生に受講させたいのです。
センター国語が選択肢を含めて約20000字オーバー。
これをよむのに40分かけたとしたら、純粋に思考・解答にかけられる時間は
40分。これを20分にできたら、もっと得点力は上がる。
単純に試験当日でそうなのだから、これを1年2年と考えた場合、
単位時間の中で問題を解ける時間が増やせる。読書量が増やせる。
ということは語彙力を上げられる機会になる。
2乗どころか3乗の効果も見込める。

それも、国語以外の各科目においても、それは可能になるから、
全体の底上げになる。
北海道の高校生は頑張っていると私は思ってます。
でも、小中でちょっとゆとりがある。
全道レベルで考えてしまうから。。。

でも大学入試は常に全国区
ちょっとでも、首都圏や近畿圏の小中でガシガシに鍛えられている連中と
渡り合うには効率化しかないと考えている。
高校の3年間という時間はどの地域に住んでいても平等なのだから。
その効率化の手助けにはなるツールだと考えています。

札幌とか北海道に住んでる子らが学習の面とか、入試の面とかで
全国的な競争に負けないという状態を私は作りたいのです。
小さいけれどそれが私の地域貢献だと考えています。

いま、大学生になった教え子たちは学習の量が多いので、速読できればいいな。
ということを言ってます。残念だけど対象は高校生まで。
そのうちとは思っていますが。。。